くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「サイド・エフェクト」「カルメン故郷に帰る」(モノクロ版

サイド・エフェクト

サイド・エフェクト
つまり、副作用のことである。
タイトルバックで、ゆっくりとカメラはとあるビルディングの窓へと近づいていく。そして、その部屋の中だろうか、椅子が倒れていて、床に真っ赤な血が散らばっている。物語はここから三ヶ月前に戻る。

スティーブン・ソダーバーグ監督の新作は、新薬を題材にしたサスペンス映画である。というふれこみにすっかりだまされてしまったのがこの作品だった。「マジック・マイク」でも起用したチャニング・テイタムが今回も登場するので、てっきり、重要な役回りかと思っていたら、映画の導入部で殺されてしまうのだから、これまたどんでん返しである。

インサイダー取引で留置所にいるマーティン(チャニング・テイタム)に妻のエミリーが面会に来るところからが本編。そして、四年の留置所生活からはれて出所、二人は再出発を始める。ところが、エミリーが地下駐車場で「出口」の文字に向かって突進してけがを負う。自殺行為と判断されて一人の精神科医ジョン・バンクス医師が派遣される。エミリーはかつて鬱病を患っていて、ヴィクトリア・シーバートという医師にかかっていた。

こうして、いかにも医療サスペンスのような展開が続く。バンクスはエミリーに様々な薬を処方するが、ときに、列車に飛びこみそうになり警備員に助けられるわ、夜中に起きて夢遊病者のように食事を作るなどの奇行が始まる。そんな中、バンクスに新薬の治験の話がくる。妻の失業で、経済的にも困っていたバンクスはその話を受け、エミリーの同意の元に、彼女に処方。エミリーの異常な状態と、新薬の処方がかぶって、どこかホラーのような味わいを見せながら物語が中盤へ。

一方。マーティンは次の事業のために奔走している。ある夜、家に戻ると、また三人分の食事が用意されていて、不審に思ったマーティンが台所のエミリーのところにいくと、突然、エミリーは包丁でマーティンを刺す。そしてその場で絶命、エミリーは何事もないようにベッドにはいる。当然殺人容疑で逮捕され、心神喪失かどうかの判断と、彼女に処方したバンクスの責任問題が浮上。このまま、面倒な社会サスペンスに移行するかと思いきや、ここからどんどん、正当なミステリーサスペンスへ流れていく展開がかなりおもしろい。

検事、弁護士、担当医バンクスの検討結果で、エミリーの心神喪失とそれによる殺人罪の無罪を成立させ、エミリーはしばらく、精神療養所へ入ることになる。ところが、ある日、バンクスは処方した抗鬱薬の会社の株が暴落、それによって、利益を得た誰かがいることを知る。しかも、処方した薬の夢遊病症状について、すでにシーバース医師が論文を出していたことを知り、この事件の背後の何かを察知したバンクスは、自白罪だと偽って塩水をエミリーに処方。すると、エミリーは薬で朦朧となった体を演じる。これでバンクスはエミリーが、これまでのことすべてをシーーバースと計画していたことを知り、再度、起訴するように訴えるが、すでに無罪となったエミリーに起訴は不可能と言われる。

そして、バンクスがとった行動は、・・・二転三転、ソダーバーグならではの綿密な演出がさえてくるのがここからである。

バンクスはエミリーの話から彼女とシーバースレズビアンの関係と知り、エミリーを退院させることと引き替えにシーバースに近づく。一方で、シーバースを裏切るようにエミリーに仕掛ける。そして、エミリーにすべてをはなさせる。

フラッシュバックしてエミリーはかつて大金持ちになったマーティンとの夢の生活を思い出し、突然彼が捕まってdんぞこに落ち、鬱になったこと。そのときシーバース医師に出会い、彼女のアドバイス心神喪失や副作用の症状を学ぶ一方で、マーティンから教えられた株の仕組みをシーバースに教える。そして、二人は計画的にマーティンを殺すのである。

裁判所の条件付きでエミリーを退院させたバンクス。エミリーは早速シーバースのところへいく。そこで久しぶりに抱き合いながら、シーバースは、詐欺取引で利益を得て、海外の口座に金を残しさらに、マーティンを殺す計画もしたことをつい気を許してはなしてしまうが、それはエミリーが持っていたボイスレコーダーで警察へ。シーバースは捕まる。

一段落ついて、エミリーがバンクスの診察を受ける。バンクスは、必要のないきつい精神薬を処方し、それを飲まないとまた診療所へ送り返すと脅す。そして、精神錯乱したエミリーはバンクスのところを出ようとすると、そこに検事と弁護士が。こうして、バンクス等はエミリーをもう一度捕まえるべく計画を立て、彼女を療養所へ送り返すのである。

うつろな表情で窓の外を見つめるエミリー。カメラがゆっくりと引いていくと、冒頭のビルの窓。つまりファーストシーンの窓はこの療養所の窓だったのだ。まるで、ヒッチコックの「サイコ」のようなカメラワークに、さすがソダーバーグとうならせる。

すべてうまくいったバンクスは子供を迎えにいって、妻ともよりを戻してエンディング。

確かに、最近の映画は複雑さを好むのか、面倒な構成のストーリーが実に多い。この映画も、下手をすると、かなり面倒な設定と、どんでん返しにすっかり疲れるところだが、さすがにスティーブン・ソダーバーグストーリーテリングはうまいね。中盤からの急展開を実に巧妙に映像に盛り込んでいく。エミリーに電気ショックで廃人のようになる精神病患者を見せて脅す下りなど、さりげないショットが実に効果的にエミリーの心理変化を描写する。

バンクスの妻がバンクスに愛想を尽かして、彼をさらにどん底に落としていくいわゆるヒーローものの常道さえも見事に物語に生かしている。

びっくりするほどの秀でた作品ではないのですが、職人芸のような筆致にすっかり酔いしれる一本でした。おもしろかった。


カルメン故郷に帰る」(モノクロ版)
先週、オリジナルのカラー版を見たのだがほとんどその差は発見できない。基本的なカメラワークやアングル、ストーリーのテンポもほぼ寸分違わずである。もしかしたらというくらい、カラー版になかったシーンというか、ショットが見受けられたり、あったショットがなかったりというところがあるのですが、ほとんど間違い探しのレベルです。

ただ、初めてリリー・カルメンとマヤ朱美がやってくるシーンで、カラー版はカルメンは鮮やかな赤、朱美は黄色に黒の縞でしたが、モノクロになると、このデザインの違いが二人をくっきりと分けている。意図的なのか偶然なのかはわかりません。

荷車にこびりついている黄色の花が、カラー版よりややずれて回ってくるのも、テイクが違うのだから当然といえば当然。浅間山の上の雲の形とか、本当に間違い探しである。

田口先生が教室でオルガンを弾いているときに、窓からカルメンが顔を出して冷やかすカットがあったが、カラー版にもあっただろうか?クライマックスのダンスシーンで高堂国典の横の二人のばあさんが芋をかじるシーンがカラー版にあったが、モノクロ版にはない。フィルムの傷みで飛んだのかと考えられなくもない。

でも、やはりストーリーの構成のバランスがすばらしいのか、校長先生とカルメンの父が丸十に意見をしにいくときに、かつてカルメンが牛に蹴られた木の下で、父が泣き崩れるシーンには涙が出た。

日本初の総天然色というのが売りの名作だけに、さすがにモノクロは物足りないが、作品のレベルはやっぱりハイレベルですばらしい。汽車が走り去って、終の文字がでると胸が熱くなりますね。