くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「パリの恋人」「「また、必ず会おう」と誰もが言った。」

パリの恋人

「パリの恋人」
スタンリー・ドーネン監督がオードリー・ヘップバーンフレッド・アステア主演で作ったミュージカルである。

当時、最先端のカラー撮影ビスタビジョンで作られた作品だけに、あざといようなカラーシーンが気にならなくもないけれども、スタンリー・ドーネン監督の原色を使ったミュージカルシーンはやっぱり楽しい。

ポップでモダンなイラストを配置した美しいタイトルバックが続いた後、舞台はアメリカのファッション誌クオリティ社のオフィスへ。編集長を務めるマギーの部屋へ続く部屋はカラフルなドアが円形に広がり、シンメトリーな配置で物語が幕を開ける。

ピンクを基調にした雑誌の方針に続いて、知的なセンスで攻めようという意図の元に、下町の古本屋を舞台に撮影をすることにし、飛び込んだ先にいたのが、妙な哲学にはまっている一人の貧乏臭い女性ジョーオードリー・ヘップバーン)。カメラマンのディックは最初は気にもとめなかったが、撮影フィルムを現像していて彼女に曳かれ、すぐさまマギーとパリでのファッションショーの企画を進め始める。

こうして下町の少女が世界のファッションの舞台でモデルとして大成功し、さらに、最愛の恋人ディックと結ばれるまでのたわいないラブストーリーである。

ディックとジョーの教会でのデートシーンで、わざとらしく鳩が飛び回っていたり、ちらほらと咲く黄色の花、横切る真っ赤な服を着た少女たちのシーンなど、スタンリー・ドーネンらしいカラー配置が今となってはやや古くさいが、それでも全体が完全なファンタジーであり、舞台ミュージカルの装いの映画だとみればとっても夢いっぱいなのです。

一時は喧嘩したディックとジョーが誤解が解けお互いの気持ちを確認し、再び教会の前で「ス・ワンダフル」を歌って筏に流れていくラストシーンは、まさにこれも「スクリーンの向こうにロマンが見える」典型的な映画です。

書架に乗って初めて登場するオードリー・ヘップバーンのキュートなファーストショットが実にかわいらしく。ファンを魅了した彼女の魅力のすばらしさを再認識します。本当に、スクリーン・ビューティとは良く言ったものです。


「「また、必ず会おう」と誰もが言った。」
古厩智之監督作品というのは初めてですが、いい、とっても良いんです、この映画。暖かくて、胸に迫ってきて、でもどこか、自分も経験があるような、それでいて、人間ていいなぁと思ってしまう。好きだなぁ。
決して、映像がすばらしいとか、脚本がどうとか言うのではなくて、スクリーンからしんみりと伝わってくるとってもいい何かを感じることができる映画でした。時間があれば是非みてほしいです。

映画はある高校の教室。楽しげに友達としゃべっている主人公の和也。東京は臭いとか訳の分からなくふざけていて、自分は東京へ行ったみたいな会話の端々から、どこか嘘くささが見えてくる。それを友達がズバリ指摘し、笑いでごまかすものの、トイレでその緊張感からはいてしまう。写真を見せるなどといううそを言ってしまったからだ。

こうして、ほんの軽いタッチで始まるこの映画、実に導入部のテンポがいい。このまま、東京へ行く羽目になり、親にうそを言ってお金をもらい東京へ行って、証拠写真を撮ったものの、お金を取られて帰れなくなり、最終の飛行機に乗り遅れ、売店のそばのソファーで寝る覚悟をしているところへ、売店の昌美に助けられ家に泊めてもらう。

とにかく、この映画、わき役が抜群にいいのです。杉田かおるイッセー尾形嶋田久作塚本晋也、等々、個性豊かでかつ演技力のある人が脇を囲むので、ぜんぜん飽きがこないし、わざとらしくならない。

昌美のところで訳も分からず一晩を過ごし、でていくときに、息子に誕生日プレゼントを届けてくれと静岡までのお金をもらう和也。そして、行った先で、実は子供は死んでいて、毎年、その成長にあわせて、昌美がプレゼントを贈っていたのである。夫であり床屋の秋山に「また会いにおいで」と子供に言付けた昌美の言葉を伝え、秋山は自分のことだと有頂天になる。ここで胸がいつの間にかジンとくるのです。

そして、秋山にもらった自転車で走っていてお巡りさんに止められ、通りかかったトラックの男柳下の車に乗る。ここからもまた実に味のある展開で、途中で友人の島津のところで働かされたり、母親に送ってもらったお金を柳下にとられたりとでも、どこかほほえましい展開が続く。

そして、島津のところで倒れた柳下を病院につれていくと、実は末期ガンで、それを覚悟のドライブだったことがわかり、和也は初めて母親に本当のことをいってもう少し帰るのを遅らせたいと言うのだ。それを父親が、信じると返事するのもいい。

そして、柳下の姉たちがどやどやとやってきて、甥っ子を母親のところにつれていく羽目になる和也。ここからもまたとってもあったかい展開なのです。余命幾ばくもない柳下のエピソードがじめっとしないのはこの姉たちのあっけらかんとした意地の悪さによるところが大きいのですが、これがまた不思議なムードで、次の甥っ子のエピソードにつながるのがいいんです。

柳下が甥っ子を和也に託すときに、和也から巻き上げ、折りたたんでいた1万円を返すあたりのさりげないショットも最高に胸に迫る。

和也が、柳下の甥っ子を母親のところへつれていくと、なんと母親は精神障害のようである。ふつうに話をした後、いまだ、快復せず、事情を察した和也と甥っ子は帰ることに。和也は甥っ子にちゃんと母親に「また会おうね」と挨拶してこいといい、自分の金を渡し、和也はヒッチハイクで帰ることにして暗転。和也が旅先で撮った写メをエンドクレジットに流して終わる。

導入部でいかにも今風の高校生だった和也が、ラストではしっかりと成長した姿を見せる。この心の成長が実に見事に描かれている。クオリティの善し悪しより、とにかくとっても好きな映画でした。時間があればみなさんにみてほしい一本ですね。