くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「ランナウェイ/逃亡者」「今日子と修一の場合」

ランナウェイ/逃亡者

「ランナウェイ 逃亡者」
非常にストーリーの骨格がしっかりした脚本、そして、その中心になる骨格からぶれないストーリー展開で、じっくりと見せてくれる硬派の人間ドラマの秀作でした。

なかなか、ロバート・レッドフォードストーリーテリングの才能はありますね。次々とでてくる登場人物の名前覚えきれないのですが、組立がしっかりしているので、ストーリーが混乱していかず、ラストの目的に向かってきっちりとまとまっていく。とってもハイレベルな作品でした。

物語は約30年前、ベトナム戦争アメリカ市民が抗議行動を起こしていた時代。様々な過激な行動も含めたシーンが記録映像のごとく紹介され、そのなかで特に激しかったウェザーマンと呼ばれる集団の、テロに近い抗議行動が紹介される。そして、ミシガン銀行を襲撃したウェザーマンたちは守衛二人を殺害したという事件が報道。ウェザーマンのメンバーは忽然と姿を消す。タイトルが流れる。

物語は30年後、シャロン・ソラーズが住むふつうの家庭からドラマが始まる。子供たち、夫を送り出し、ふつうにガソリンスタンドで給油するシャロンFBIの車が集まってくる。そして逮捕。彼女はかつてのウェザーマンのメンバーで、たまたま知人に自首する旨を電話したために、盗聴いていたFBIに居所をかぎつけられ、自首を前に逮捕された。

この事件を地元の新聞の記者ベンが追求し始める。そして、やがて浮かんできたのが弁護士で、今はふつうの生活をするジムという男の存在である。ジムはかつてウェザーマンの一員ニック・スローンという名前で、今は別名で生活し、愛する妻を昨年亡くし、12歳になる娘と二人暮らしだった。

身の危険を感じたニックは、娘を弟ダニエルに託し、逃亡を開始する。しかし、彼にはその逃亡に目的があった。FBIもニックの存在を見つけ追跡を開始。

こうして、ニックの逃亡劇,FBIの追跡、ベンによる真相究明と三つどもえのストーリーがそれぞれの立場で展開していく。なぜ、ニックは娘を残して身を隠したのか?ミシガン銀行襲撃に彼は関わっていたのか?次々とかつてのウェザーマンのメンバーとの接触を試み、自分の身の潔白を証言できる女性で、かつての恋人のミミに会うために逃亡していく。この逃亡シーンも実に巧妙でリアリティある演出が施され、次々とでてくるメンバーの名前を追いかけきれないにも関わらず、どんどん引き込まれる。

さらに、二人の間にはレベッカという娘がいて、彼女は当時、警察署長だったドナルに養女に出されているという真相へとベンも迫っていく下りのサスペンスフルな展開も非常に見応えがある。

そして、いよいよ、カナダ国境にある私有地でミミと会うことが実現したニックだが、結局、彼女を自首させ、自分の潔白を証言させることは説得できない。そこへFBIが迫る。ベンも最後にニックと会話を交わし、「真実が常に彼らのためと限らない」という言葉を交わして別れる。

やがて、ミミはヨットで逃亡、ニックは捕まる。記事をまとめるベンはテレビに、ミミが自首し、ニックの無実を証言し、ニックは釈放されたニュースが飛び込む。すべての真相を文面にしていたベンの手が止まり、ゆっくりと部屋を出る。そして、釈放されたニックに遠くから視線を送る。

ニックは幼い娘の元に戻り、二言三言会話して二人、手をつないで歩いていく。ラストの親子の会話は音にならなに。なにを交わしたかわからないけれど、父親は無実で、心配した娘を安心させたのだろうか。このラストの演出のうまさは絶品である。

若干、ベンの知人でFBIのジムをしているダイアナとのショットは中途半端で、必要だったかどうかとも思えるが、全体が非常に練り込まれた演出で展開するサスペンスに仕上がっていて、ニックから視点がぶれないままに、周辺から真実に迫ってくる構成が実にうまい。近年まれにみる社会サスペンスの秀作だったように思えます。ものすごい充実感でした。


「今日子と修一の場合」
久しぶりに、べたべたの駄作に出会いました。いったいなにを描きたいのか、個人の自己満足映画に近い作品だった。せいぜい30分くらいのドラマの内容なのに二時間以上に引っ張るのだからもうダレダレである。しかも、エピソード構成のバランスの悪い脚本と、素人でも今時しないような下手な映像演出に途中から辟易してきて、早く終われ早く終われと思っているのに、いかにもエンディングというようなカメラワークの後にさらに映像が続くのが繰り返され、早く劇場をでたくてたまらなかった。

旧家へ嫁いだ今日子は、保険の外交で成績のために客に体を使っていたために、それがばれて離縁され、東京へでてきて妙な男に引っかかって、その男と同棲しデルヘル嬢になるが、東日本大震災の時に誤って、同棲していた男を包丁でさしてしまい、その死骸をバラバラにして、行く当てもなくもなく、かつての嫁ぎ先の被災地へ行く。

一方の修一は、父親を殺してしまって少年鑑別所からでてきて、旋盤工場で働くうちに、工場の女の子と恋に落ち、同僚で、いじめの主犯を刺し殺した若者と知り合い、やがて、大震災で、実家が被災したことを知り、大学合格した後、被災地へ行く。

とまぁ、二人の物語を適当に前後させて描くのだが、実に下手なシーン演出ばかりで、今時素人でもこんな下手な演出しないだろうと思えるシーンや無駄なカットが続いた気がします。
結局、ラストで二人は被災地で出会うが、だからなにというわけでも亡く、エンディング。

とまぁ、かなりな書き方をしましたが、前半部分、導入部分はそれなりにいいと思うのです。
今日子が一人歩いてくるショットから自宅で寝る。夕方男が帰ってきて、今日子に金の無心。今日子は料理を作りかけていて、そこへ地震。思わず抱きつく男に、いつの間にか包丁が刺さってしまうあたりの展開はドラマになっていると思うのですが、この後の回想と修一の場面との交互が多くなってくると良くない。

一方の修一のエピソードも、少年拘置所から出てくるシーンから旋盤工場の場面、ギクシャクした人間関係から、過去の父親殺害までの場面はそれなりに出来ていると思う。

しかし、修一の同僚で、学生時代いじめを受けているけれど、ピアノの才能があり、工場でピアノを弾くくだりなどのシーンは正直、南であるの?という感じなのです。

奥田瑛二は監督としてはそこそこ評価もあるのに、これはないなぁと言う一本でした。