くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「お遊さま」

お遊さま

本当に品のよい映画である。画面の端正な美しさ、素朴な京都の風情を再現する、ゆっくりと流れるようなカメラワーク、御簾の隙間を出入りする人物の、どこか霞のかかったような映像。巨匠宮川一夫のカメラと、長回しの流麗なワンシーンワンカットで演出する溝口健二の作風が見事にマッチングした画面に見入ってしまうのである。

物語は新緑の京都、これから見合いをするという慎之助は、まもなくくる花嫁候補のお静を待っている。しびれを切らして庭にでた慎之助は、美しい出で立ちでやってくる和服姿の女性を認めて思わず会釈する。先頭に歩いていたのはお静の姉で、夫を亡くし、一人息子を育てるお遊であったが、慎之助は、お静と勘違いしてしまう。そして、お遊に一目惚れしてしまう。

やがてお静と慎之助は婚礼となるが、慎之助とお遊の気持ちを察したお静は、婚礼の夜に、あくまで自分は姉の橋渡しの存在でよいから、兄弟として生活してくれと慎之助に頼む。

なんとも、ドキッとするほど嘆美的な導入部、まさに谷崎潤一郎ならではの原作を元にしただけのことはある。

横、縦の空間を意識したセットの中をゆっくりとパンするカメラ、その先で演技する人物が御簾の隙間に見え隠れする。人物が入れ替わり、フレームアウトしていく。実に美しい。さすがにこの時代のハイレベルな日本映画は、一つ一つの映像が映画にいなっているからすごいのである。

もちろん、この作品は溝口健二監督作品の中では名作の範疇に入らない。それでもこのクオリティはすばらしい。この後、映画史に残る「西鶴一代女」「近松物語」などなど溝口健二監督の全盛期が到来する、その直前の作品である。

やがて、お遊の息子は死に、伏見の酒造家へ嫁ぐ。一気に時間が流れて、お静夫婦は東京での貧乏生活をする中、子供を産んだお静は産後の肥立ちがわるく、死んでしまう。壮麗な日本庭園で、琴を演奏するお遊。庭の隅に赤ん坊が捨てられている。添えられた手紙は慎之助からである。お遊は、再婚した夫に疎まれる中の生活であったが、赤ん坊を抱き上げ、十五夜の夜に赤ん坊を授かったと喜々とする。

一方、慎之助は、お静を失い、子供をお遊に託して、一人、川の轍の葦の中に消えていく。

お遊が再婚したあたりからの脚本がかなり荒いし、時間が一気に飛んでしまい、何の説明もなく、いきなりラストシーンを迎えるという唐突な終わり方をする。それまでが、じっくりと映像で語っていく物語なのに、なぜここでいきなりと思えるエンディングである。どういういきさつかわからないが、この荒さがこの作品の最大の欠点のように思える。

とはいえ、美しい映像を堪能できる映画であり、一見の価値は十分にあったと思います。