くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「タンゴ・リブレ 君を想う」「危険なプロット」

タンゴ・リブレ

「タンゴ・リブレ 君を想う」
ピアノの音楽と、たぶん、アルゼンチンタンゴの歌なのだろう、背後に流れる中、なにやら二人の男が一人の男を殺したらしいスローモーション映像、車の炎上するショットがかぶる。

タイトルが終わると、J.C.と呼ばれる刑務所の看守が車をとばしている。信号で止まるが、停止ラインオーバーでバックするところに彼の、妙に几帳面で、気の弱い性格を描写する。監督はフレデリック・フォンテーヌという人です。

映画自体は、決してつまらないわけではないが、どこかめんどくさい話である。全体のテンポがちょっと変わったリズムで展開し、主演のJ.C.が、異常なくらいに内気な動きを見せるのが、しつこいくらいに見えてきて、もどかしいのである。

J.C.は、一人タンゴ教室に行っている。そこでアリスという女性の相手をするのだが、ある日、彼女が、囚人の面会にきていることを知る。しかも、夫であるフェルナンとドミニクという愛人に面会するのである。冒頭で、スローモーションの映像の中にいた二人である。

何となくアリスに曳かれ始めるJ.C..二人がタンゴ教室で知り合ったと知ったフェルナンは、刑務所の中のアルゼンチン人にタンゴを教えるように言う。この展開もまた、妙なのだが、一度は断ったアルゼンチン人が、ある日、アルゼンチン人同士で見事なダンスを自由時間に披露し、やがてフェルナンにも教え、他の囚人たちも習うようになる。

一方、囚人の家族と接することができないという看守の規則があるのだが、どうしてもアリスが忘れられず、接触するJ.C.。

こうして、物語はアルゼンチンタンゴを通じて、アリスという女性を中心に、夫フェルナン、愛人ドミニク、そして一人息子アントニオを絡めたお話になっていく。どうみても尻軽女に見えるアリスの存在感が、どうも私には共感しかねるので、なかなか、のめり込めなかったが、終盤、アントニオが実はドミニクの子供だとフェルナンに明かされ、自暴自棄になるアントニオと、それに絶望するアリスをみて、J.C.はフェルナンとドミニクを逃亡させることを決意。そして、脱獄させて、自分も含め、アリス、アントニオ共々車で走り去ってエンディング。それまで、どうしようもなくうちにこもって我慢していたJ.C.が晴れやかに笑顔になるのが、ラストの爽快感になる。

終盤に、俄然映画が動き始め、一気にラストを迎えて、この作品の目指す意味が見えてくるという映画である。その意味で、ちょっと独創性のある作品でもあり、国柄を意識せざるを絵に一本だった気がします。ちょっと、興味深い映画でした。


「危険なプロット」
現実と虚構が交錯しながら展開する、めくるめくようなミステリアスな世界。フランソワ・オゾン監督が描く最新作は、学校を舞台に、一人の国語教師と文才に恵まれた生徒が生み出す、不可思議で官能的な物語です。その映像のマジックにすっかり引き込まれる魅惑的な映画でした。

映画は、トリック撮影のような学校の生徒たちの顔写真がめまぐるしく変わるタイトルバック、コミカルに集まってくる制服を着た高校生のシーンから幕を開ける。

かつて、作家を目指した国語教師ジェルマンは、夏休みの生活経験を、わずか二行ほどの文章にしか表現できない生徒たちの作文に辟易している。

ところがそんな中、一人の生徒クロードが書いた、クラスメイトのラファとその家族を皮肉たっぷりに描いた作文に心を引かれ、指導を名目に、その続きを要求していく。クロードが描く作文の世界にジェルマンが入り込んだり、時に、現実の世界に引き戻して、非難したりと、虚構と現実が入り乱れた映像が展開し始める。

ジェルマンの妻ジャンヌは画廊を経営し、近く催される展示会の成功に賭けている。一見平凡な夫婦だが、二人には子供がいない。

クロードの作文は、徐々にラファの私生活の中にのめり込んでいき、その魅惑的な母エステルとの情事にも及んでいくにつけ、次第にミステリアスで官能的な装いを帯びてくるのだ。さらに、授業でラファを非難したことを、雑誌に投稿され、その虚構の世界が現実になり、ジェルマンの学校での立場も揺らぎ始める。

さらに、時に暴走し、ラファが自殺する展開などへと飛躍すると、その行き過ぎを非難するジェルマンに、クロードは心ならずも反抗し始め、作文の展開もさらに毒のこもったものになっていく。クロードとエステルが口づけを交わし、二人の間に男と女の感情さえ盛り込み始める。

最初は、指導的にクロードに接していたジェルマンは、いつの間にか虚構の世界にどっぷりとひたり、かき回され始めるところが、実に幻想的で、エステルとクロードの会話のシーンに割って入ってきたり、エステルとクロードの抱擁シーンをラファが盗みみてしまったりと、どんどんエスカレートしていくのだ。

やがて、続きを書くことをやめたクロードは、ジェルマンの留守にジェルマンの家に行き、ジャンヌに会って、ジェルマンに借りていた本を返し、残る原稿を渡す。帰ってきたジェルマンは今度はクロードとジャンヌの関係を疑い、ジャンヌをののしるが、ジャンヌは離婚を決意しでていく。ジェルマンも学校を辞めさせられ、すべてを失ったジェルマンの傍らにクロードが座る。

二人で、目の前のアパートに見える、住民の行動を物語にして想像する。カメラは夕闇の中で、さまざまなドラマを展開させるアパートの窓窓を映し出しながらエンディング。

先の読めない展開、というか、結末が読めない展開で、どんどん虚構と現実の世界が描かれる物語は、今となってはよくある手法ではあるが、フランソワ・オゾンは冒頭から皮肉たっぷりな演出で見せていく。今まで、自由な服装だった学校に制服の導入からスタートし、画一的な舞台を駆逐。その中で、自由奔放な想像力を表していくクロードの生み出す物語に、いつの間にかのめり込んでいくジェルマンの存在を描く。ラストのアパートを画面いっぱいに見せる映像は、人生というのはかくも様々な出来事に満ちているのだと冒頭の校長の制服導入を笑い飛ばしている気がします。

とにかく、オリジナリティあふれる演出がとても楽しいし、クロードを演じたいかにも才気あふれる容貌のエルンスト・ウンハウアーと、いかにもしがない教師というファブリス・ルキーニの対称がとってもおもしろい一本でした。