くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「雨月物語」「恋するリベラーチェ」

雨月物語

雨月物語
戦国の世の中の、人の生き様のものの哀れを、百姓の兄弟を通じて描く夢幻の世界。溝口健二監督の代表作であり、日本映画史に残る名作を、40年ぶりくらいでスクリーンで見直すことができた。

すばらしい。宮川一夫のカメラの美しさはいうまでもないが、背後に流れる謡曲を画面に効果的に演出し、人の欲望、そして流転の人生、様々な人間の業を描き出していく。

得意の長回しによるワンカットは、この作品ではあまり登場しないが、魔性の女に魅入られた男源十郎が、琵琶湖の茅のシルエットをバックに物の怪の屋敷に誘われるシーンは、絶品と言えるほどに美しいし、屋敷の中でろうそくの明かりがともるに従って現れてくる、この世のものではない女若狭の姿が、妖艶の極みの世界を映し出す。
ようやく旅の僧侶によって目が覚め、村に帰ってみると、妻は落ち武者に殺され、子供だけが残っている。われに返った源十郎は子供と二人の生活に入って行く。

物語は、露天商売で魔性の女若狭に魅入られ、命を吸い取られていく兄源十郎の物語と、侍になることを望み、ようやく侍大将になって出世して戻ってみれば、妻は落ち武者に手込めにされたあげく遊女に身を落としている結末になる弟藤兵衛。
そして目覚めた弟は、村に戻ってまじめに暮らし始める。

夢のようなカットとオーバーラップを効果的に多用し、詩編のように描かれていく夢幻の世界は、東洋的な美しさをスクリーンという形で具現させ、独特のおとぎ話のようなファンタジーとなって開花している。

西鶴一代女」「山椒太夫」などの傑作とはまたひと味違ったカメラ演出が、実にそれぞれの個性となって溝口健二の偉大さを堪能させてくれる。これが名作であると、何度も書いたが、やはり名作は名作である。


「恋するリベラーチェ」
実在した天才ショーピアニストリベラーチェの晩年を描いた物語である。
監督はスティーヴン・ソダーバーグ
物語は一人のゲイの青年スコットが、バーでボブというゲイと知り合い、その関係で、ショーピアニストリベラーチェと知り合うところから始まる。

ピンぼけ画面を映像のリズムに取り込んだ演出もなかなか楽しい一本で、豪華絢爛なリベラーチェの邸宅の中で、贅沢の限りを尽くして抱き合うスコットとリベラーチェの物語は、どこか独特のものがある。

年代は1977年から始まるから、まだゲイがそれほど世間に認められていないし、エイズの問題が1980年代に入って話題になる時期でもあるので、その時代背景を考えると、ひたすらゲイであることを隠していくリベラーチェの行動にも興味がでる。

そもそも、ゲイの映画は好みではないのであるが、あまりにもマイケル・ダグラスの変身ぶりと、それに応えるマット・ディモンのからみがおもしろくて、すっかりこの実在の人物に心引かれながら見てしまった。時折見せるピアノ演奏シーンや、整形で変わっていく二人の姿もまた興味津々なのである。

結局、二人の間に確執が生まれ、疎遠になり、やがて薬物依存に走るスコット。そして、二人は別れ、訴訟問題にまでなるが、一人になったスコットのところに、エイズになって余命幾ばくもなくなったリベラーチェから電話が入る。みすぼらしく横たわるリベラーチェ。そしてやってきたスコットに、リベラーチェは「君とすごした生活が一番楽しかった」と語る。

まもなくして、リベラーチェの死の知らせ。葬儀の場で、華やかなリベラーチェが目の前に見えるスコットの幸せそうな笑顔でエンディング。これといって、特筆する映画ではなかった気がするし、好みのジャンルではないのですが、ショービジネスに燃え尽きた一人のピアニストの、晩年の悲哀のようなものが、じわりと感動を呼んでくれました。終盤はスコットに視点が移って、やや走り抜ける荒い展開になってしまったのがこの作品の欠点でしょうか。