くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「サプライズ」「恋人」(市川崑監督版)

サプライズ

「サプライズ」
宣伝から受ける印象では、かなり斬新なホラー映画だと期待していたけれども、なんの、ふつうのホラー映画だった。というか、映画スレしてしまったファンにとってはそれほど珍しい展開でもない。監督はアダム・ウィンガードという人である。

映画が始まると、ドアの隙間から男女がSEXしているシーンに始まる。ことが終わって、男性がシャワーを浴びにいく。女性が、物音に夜の外を見ていると、いきなり、ガラスにかかれた殺しのメッセージ、驚いて引き下がると突然、殺される。

続いて、シャワーを浴びている男もなにやら犬か羊の仮面をかぶった男に殺されてタイトル。直前に入れたCDがリピートで何度も繰り返される演出がなかなかである。

物語は、ある森の中の大邸宅、両親の結婚記念日に五人の子供たち兄弟とその妻、彼女が集まってくるところから始まる。そして、母が、次男クリスピアンの彼女エリンに、隣の家にミルクを借りにいってちょうだいと頼み、彼女がいくと、そこにファーストシーンで殺された男が後ろを向いて座っているが、まさか死んでいるとは気がつかないエリン。つまり、最初の家はこの映画の舞台の隣なのである。

そして、全員が集まってのパーティの夜。
突然、外からボーガンで一人の息子の頭が射ぬかれ死んでしまう。続いて逃げようとした長男ドレイクも、ボーガンに背中を射ぬかれたおれる。

パニックになる家族。ところが、突然、エリンが的確な指示で、残る家族を安全な位置に移動させるのだ。

こうして惨劇が幕を開ける。しかし、エリンが、サバイバルの知識で敵を翻弄していくのである。しかし、両親が殺され、玄関に張り巡らされたピアノ線で飛び出した一人の女が首を切られ、なにやら猟奇的なにおいが漂い始める。

実はエリンはかつて父親とサバイバルキャンプにいたことがあるという、とってつけたような設定が説明され、ランボーよろしく、仕掛けによって敵を倒していくが、実は真犯人は息子のうちの二人フェリックスとクリスピアンで、父親の遺産をねらっての計画だとわかってからは、非常にしょぼくみえてくるのだ。

動機がスケールが小さいし、仮面をかぶって入ってくる殺し屋集団もいまいち不気味さがない。冒頭の殺人シーンと、つつくCDのリピートという映像センスがおもしろかったのに、もったいないのである。

結局、エリンは敵をすべて殺すのだが、それもまた残忍な方法というスプラッター的な演出もちょっとあざとい。なんで、ここまで狂ったような殺し方をするのかと思ってしまう。

最後に真犯人の一人クリスピアンが、生き残って目の前に現れるが、結局殺す。その瞬間駆けつけた警官がエリンに発砲。そして、悠然と家に入ってくるが、エリンが玄関に仕掛けた斧で殺されて、すべてエンディングである。

惜しい。偉そうなことを言うが、もし私ならもう一歩おもしろい設定を作ったのにと思う一本で、迎え打つエリンの仕掛けるわなのおもしろさは、中盤の見せ場なのだが、それも今となっては、驚くほどでもない。とにかく殺し屋の不気味さがもうちょっと足りないし、ネタバレが早すぎる気がする。もうちょっと、ためて、最後の最後でばらしていけば、殺し屋集団の怖さが引き立ったのに、仮面の不気味さが中盤あたりですっかり消えてしまうのである。

たしかに、殺し屋集団とエリンの対決はスピーディで、目を離せないほどおもしろいが、真相があまりにもありきたりで、しかも早い段階でエリンにばれるので、なんとも後半がふつうになる。決して、凡作ではないけれど、期待しすぎたのでしょうかね。でもまぁ、おもしろかった。


「恋人」(市川崑監督版)
市川崑監督ならではの、とってもしゃれたモダンなラブストーリーでした。こんな映画、しかも1951年作られたというのは何ともすばらしいことだと思う。

もちろん、当時、大量に入ってきた外国映画の影響がないとはいえません。実際、映画の中で主人公たちがヴィヴィアン・リーの「哀愁」をみるのですから。

とはいっても、影を効果的にとらえた映像の演出や、クライマックスの終電の後の駅のショットなど、なかなか日本映画とは思えないカットがふんだんに登場する。

舞台劇にしてもいいような空間演出を多用、冒頭からはローアングルのカメラ、さらに京子の両親が京子の帰りを待つシーンはこたつの中で対峙するシンメトリーな構図になっていて、そのまま、ラストシーンのカットとかぶるようになっている。

物語は、誠一がかつてプラトニックな恋心を抱いていた京子の家にやってくる。京子は昨日結婚式を挙げたばかりである。物思いに耽って京子の部屋に座る誠一のショットから、時は結婚式の前日へ。そして、京子は誠一に映画につれていってとせがみ、その後スケート、ダンスホールに行き、とうとう終電車に乗り遅れるのだ。翌日が結婚式、しかも誠一とではないのである。「どうして離れられないんでしょうね」と問いかける京子、見つめ返す誠一。なんか切ないシーンである。

そして、時間が過ぎて、誠一が遊びに来た日の夜になり、帰った後、誠一が忘れたマフラーを映すカットのアップで「END」と文字が入る。

何とも、モダンである。市川崑のしゃれた才能が開花するなかなかの秀作でした。どうして、こんなおしゃれなラブストーリーが今作れないのだろうとさえ思ってしまう、とってもいい感じの映画だったなぁ。