くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「沙羅の門」「飛びっちょ勘太郎」「浮雲日記」

沙羅の門

「沙羅の門」
こういういい映画を見るとうれしくなってくる。素直に、心に訴えかけてくる名作でした。

琵琶湖畔の禅宗の寺の広い建物内部の空間を有効に利用し、ふすまの間々から人が出入りする様を見事にとらえていく映像づくりのうまさと、一方で京都の下宿で、一人暮らす一間の小さな部屋のショットを対比させた映像づくりもすばらしい。

映画は、少女時代の千賀子が突然目を覚ますところから始まる。そしてなにを思ったか外に飛び出し、病院へ駆け込むと母親の死。そして時間が一気にジャンプして、父である承海が、後妻を迎えるシーンへ続く。その夜、後妻にきた八千代に、これからは姉と呼びなさいと言われ、直後、父親とのSEXのシーンを垣間見てしまう。

さらに時間が一気に飛んで、千賀子が成人になり、京都の大学へ。男友達と遊びほうける姿を描きながら、次々と男に情を持ってしまって、どうしようもなくなる様子を描いていく。

圧巻は、既婚の男と別れた直後、下宿訪ねてきた承海が延々と説教し、千賀子が改心して父親の後を追うシーン。これはもう絶品の演出である。

そして物語は一気にクライマックスへ。父承海の交通事故による死から八千代と千賀子が寺を出ていく。小間使いのお徳が葬儀の翌朝、寺に来ると、そこはだれもいない。

芸映画ではあるが、人の心の純粋さ、仏に仕えるとはいえ、女との情念に正直に生きた主人公承海のどこか人間くさいが、とっても美しい姿を、娘千賀子の奔放な毎日を対比させて、見事に描き出していく久松静児の演出がさえ渡る。

名作とはこういうものを言う。カメラアングルといい、思い切った時間のジャンプカットといい、好対照に人間を描く脚本の妙味といい、すばらし一本でした。


「飛びっちょ勘太郎
これは傑作だった。テンポの良いストーリー展開と、小気味良い会話の応酬、そして、丁寧に描き込まれた人物と、それを絡めたエピソードの羅列が見事。

しかも、それぞれのエピソードが微妙に絡み合いながら、ラストでは一つになってクライマックスを迎える。小粋な終わり方もさすがにこの手のドラマの真骨頂が楽しめます。

映画は主人公勘太郎が、やくざもの相手に豪快に戦うシーンから一気にタイトルへ。そして、次々と、難儀をしている女たちを助け、自分はかつての許嫁の敵を追っていく。途中で出会った、いまは亡き許嫁にうり二つのお鶴を助けて、そのエピソードがラストシーンに絡まってくるあたりは驚きのどんでん返しという展開にうなってしまう。

森重久彌の見事なせりふ回しに引き込まれるのですが、相手をする藤山寛美の絶妙な受け答えのコンビも、さすがに天才二人がそろうとすばらしい。

そして、見つけた敵を討ち取ろうと迫り、飛び込んだところが、お鶴の家で、お鶴は敵の女房。しかも子供がおなかにいるというラストで思い切り泣かせる。

ふつうのまた旅もののように軽く見ていると、その練り込まれたストーリー構成にうなって、そして、傑作に近い出来映えに感心する一本でした。見事。


浮雲日記」
さすがにマキノ雅裕監督だけあって、それぞれのシーンは実に映画的な画面になっているのですが、全体がちぐはぐで、なにを語りたいのかが結局見えてこないと言うふつうの人情話でした。

原作が「姿三四郎」の富田常雄なので、主人公は柔術ができて武道に秀で、しかも知性もある好青年、春信介である。

東京新橋に着いた信介が、次第に政治に目覚めていく中で、恋を知り、いくところいくところで、女性にモテモテになると言う何ともお気楽な物語である。

冒頭で、明治21年、条約改正にわく人々は、大隈重信に対する不満が一部にわき上がりなどというテロップから始まり、ラストは街頭で歌を交えて、政治活動をする主人公で締めくくるのであるが、途中の展開が、あっちへ飛んだりこっちへ飛んだりである。

愛する許嫁が、最後に刃物で刺されて、死んでいくのも知らずに街頭演説を続ける主人公でエンディング。これという映画でもなかったけれど、やはり、映画の画面になっているのはさすがですね。