くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「ヴァン・ゴッホ」「悪魔の陽の下に」

ヴァンゴッホ

「ヴァン・ゴッホ
モーリス・ピアラ監督の最高傑作ということですが、私の感性では、そこまで評価するほどの映画かと疑問を持ってしまう。確かに平凡な映画ではないと思う。しかし、描き込まれる人間ドラマの高揚が、伝わり切れていない気がする。

映画はオーベールにゴッホがやってくるところから始まる。そして、その地の医師ガシェの娘と親しくなり、情事を重ねながら、娼婦達との奔放な生きざまと、一方で、絵に対する異常な情熱、弟テオとの交流を描いていく。

すでに画家として生活するゴッホの姿であり、耳をそり落としたという精神異常な姿も、すでに過去の形となった後の彼なので、一般にとらえられている天才の姿をステロタイプで描いているわけではなく、かなり人間くさい描写が随所にでてくる。つまり普通のおっさんである。

もちろん、彼の絵の才能を認める周辺の人々の姿は描かれるが、その中でも、彼が絵によって成功した姿とは見えないのも事実なのだ。

ではいったいこの映画の言わんとするところが何なのかとなってくるのである。その中身が、理解しづらいのである。特に映像にこる監督でもなさそうなので、画面は淡々と進む。特筆するのはクライマックス、娼婦の館で、ドンちゃん騒ぎをして踊り狂うシーンである。そのカメラの動き、構図のとらえ方は、なかなか見るに値する場面だが、この後、ピストル自殺を図り、瀕死の中、ゴッホはこの世を去る。そして、最後にゴッホの恋人に近かったガシェ医師の娘が、村にきた一人の画家に、「ゴッホとは親しかったのよ」と語るアップでエンディング。

前述したように、凡作ではないと思う。そのまとめあげられた演出スタイルは評価すべき十分な作品だと思うが、果たして、傑作と呼べる域に達しているのか。私にはそこが疑問だった気がします。


悪魔の陽の下に
カンヌ映画祭パルムドール賞を受賞した、モーリス・ピアラ監督の代表作である。

さすがに、見事な一本だった。空間と時間を飛び越える唐突なカットつなぎが、この監督の特長らしく、油断すると、その理解が混乱してしまうが、つぼにはまると見事な出来映えになって完成していることに気がつく。

この作品は、ひたすら精神論でぐいぐいと押してくるので、若干重苦しいが、主人公のドニサン神父の姿がしっかりと描かれているために、物語がぶれないのである。

映画は主人公ドニサン神父が、先輩の老神父に悩みの心を告白しているシーンに始まる。何とか、慰められて、ミサの場所にたたずむドニサン神父。顔を上げるとむこうから一人の少女ムシェットが入ってくる。そして、場面はそのムシェットが、侯爵の家にやってきたところにジャンプする。

このムシェットという少女は、父に内緒でこの侯爵と不倫関係にある感じであるが、遊びで見つけた猟銃で、彼を撃ち殺してしまう。川で靴を荒い、次のカットではガレ医師と情事の場面へとジャンプする。

そして、一段落した後に、再びドニサンの場面に移り、草原をさまよっていると悪魔と思しき男が近づいてきて、その誘惑をはねのけたと思ったら、ムシェットに出会い、彼女が自殺し、その死骸を祭壇に持っていったためにドニサンは修道院へ。そこで、死んだムシェットが現れたりという唐突なカットの繰り返しの末に、死んだ息子をよみがえらせてほしいと言われ、ドニサンが、死体を捧げると子供は生き返る。

しかし、精根尽きたドニサンは懺悔室で、聞いている中で死んでエンディング。

圧倒される精神世界であるが、キリスト教のこの手の話は日本人には取っつきにくいところを、しっかりと一人の神父の苦悩する姿として描ききった映像は見事な一本でした。