くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「さよなら、アドルフ」「ビフォア・ミッドナイト」

さよなら、アドルフ

「さよなら、アドルフ」
重い、ひたすら重い映像に、正直、身につまされるような息苦しさを感じる。いったいなんだろうと考えると、そのほとんどが、クローズアップなのである。そして、カメラが引いたとしてもバストショットまで、滅多にロングでとらえるショットがない。そのために、常に視点が、登場人物の顔半分や、手足、鞄、等々に限られる。だから、息苦しいのである。

物語は、超クローズアップでとらえる石、それは子供がケンケンで遊ぶために投げ入れている小石である。その遊ぶシーンをスローモーション、アップでとらえるファーストシーンから映画が始まる。

一人の少女ローレがお風呂に入っている。これもほとんどアップ。背後に、なにやらラジオ放送の音。どうやら、戦争が終わったようである。父親が帰ってきた様子に、お風呂をでて、階下に降りてくるローレも、どこか複雑な表情。

この映画の導入部は、ひたすら陰気で重苦しい。これから迎える子供たちの試練を予感させるというより、すでにその沼の中に引き込まれていく感じである。

両親が去ってしまい、14歳のローレを筆頭に双子の弟、妹、赤ん坊を抱いて、遠く祖母の家を目指す。何かが変わっているという不安が、ローレの前に突きつけられていくという展開だが、クローズアップと手持ちカメラの多用は、そんなメッセージより、作品の重さを助長していくだけである。この演出はいかがなものか?

途中、ユダヤ人の青年トーマスに出会う。自分たちがドイツ人で、ユダヤ人をさげすんでいたという台詞もでるが、そこにただひたすらローレの心理描写だけを、画面にぶつけてくるから、見ている私たちの胸に迫る迫力に一歩足りない気がする。

やがて、トーマスと別れ、ようやくたどり着いた祖母の家。厳しい祖母の行儀に対する叱責に、ローレは、それまで抱いてきた様々なアイデンテティへの揺らぎ、喪失感から、異常な態度で反抗し、瀬戸物の置物を砕く。そして暗転、エンディング。

ひたすら、心理描写のみで迫ってくる映像は、確かに個性的であるが、終始、その視点で迫ってくると、とにかくしんどくなる。ナチスの行為を、元ナチスの家族のその後の悲惨さを語ることで、伝えたいメッセージはわかるが、押しつけられている感じがしてしまう。しかも、最後まで甘ちゃんなローレの描き方も、いけ好かないし、あまり好みの作品ではありませんでした。ただ、作品としては、それなりのクオリティだったと思います。


ビフォア・ミッドナイト
このシリーズの前二作を見てないので、ちょっと、抵抗があったのですが、なんのなんの、そんなことは全く関係がありませんでした。

おそらく、前二作もそうだったのでしょうが、映画が始まってからラストシーンまで、延々と会話のみで物語が展開していきます。そして、その会話の様子をほとんどフィックスのカメラでとらえたり、時にカット割りしたりするものの、ひたすら映していく演出方法です。

冒頭、一人の男の子ハンスが父親であるジェシーと会話する。これからハンスはロンドンへ向かう飛行機に乗る。分かれづらいハンスは、どうでもいいことを延々と心配する。かなりうざい父親であるが、そのひたむきさは拒めないおもしろさもある。

送り出して、でてくると、双子の子供が後ろの席に乗った車が、待っている。待っているのは妻のセリーヌ。彼らはバカンスで友人に招かれてギリシャにやってきたのだ。

目的地までの会話が車のボンネットからのカメラアングルで延々とワンシーンワンカットで描かれていく。続いて、友人たちのと食事のシーンでも、三つのカップルのいれかわり立ち代わりの会話シーン。そして、海辺の町を散策しながら、ジェシーセリーヌは延々と会話する様子を、前方からのカメラがとらえ続ける。

子供を友人に預け、二人は友人が用意してくれたホテルへ。あわや、ベッドインかというところで、ハンスから電話。その後、二人はまたまた延々と会話するのだ。そして、どこかぎくしゃくし、喧嘩の末、セリーヌは出ていくが、ジェシーが追いかけ、深夜のカフェで再び甘い会話に収まっていく。

舞台劇のような演出でもあるのだが、会話の内容が、たわいない中に、とってもしゃれた、そしてウィットに富んだやりとりが次々と飛び出してくる。正直、そのそれぞれが理解できたと思えるわけではないが、ところどころに挿入される、小さなインサートカットや、音楽のリズム、さりげなく切り返すカメラアングルが絶妙である。

個性的な作品であるが、リチャード・リンクレイターの演出は冴えを見せる。決して映像派ではないけれども、これもまた、映画の作り方であろう。ラストシーンは、中盤の友人たちとの会話の時の伏線を受けて、ほんのりロマンチックに幕を閉じるのである。なかなかの秀作だった。