くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「17歳」「大統領の執事の涙」「ROOM 237」

17歳

「17歳」
フランソワ・オゾン監督最新作である。
昼は、女学生、夜は娼婦という顔を持つ一人の少女イザベルの揺れ動く、微妙な女心を写しだしていく作品ですが、凡作とはいかないまでも、普通の映画だったような気がします。

映画は、ビキニ姿の少女イザベルがはまべで、ブラをはずして横たわるシーンを双眼鏡でのぞいている映像から幕を開ける。いかにも初々し、ショットで始まるが、みているのは弟のヴィクトルである。このヴィクトルの存在が何とも、不可思議な危うさを作品に漂わせるが、結局、ラストまでこれという活躍はなかった。

イザベルは、夏のヴァカンスをこの浜辺で過ごしている。自室では自慰をする場面をうヴィクトルがのぞきみる場面などもあり、どこか危険な展開であるが、家族はふつうにヴァカンスを終えてフランスに戻る。

季節は秋、イザベルには学生とは別の顔がありレアという名前で、男性にお金をもらってSEXをしている。つまり娼婦なのだ。しかし、お金のためでも、欲望のためでもない。しかし、男性と寝た後にまたしたくなる。

最初に画面にでるのは、初老の男ジョルジュ。やがて、何人かの男と体を重ねるシーンが続くが、このジュルジュの優しさに牽かれ、何度も呼ばれるようになる。しかし、ある日、彼は行為の途中で死んでしまう。当然、警察が介入し、両親にばれる。

季節は冬、もちろん、娼婦としての生活はやめるイザベルだが、新しい彼とも、もの足りず、春がくる頃に、再び、サイトにアクセスし、いつものホテルのロビーへ。しかし、そこにやってきたのはジョルジュの妻アリスだった。ジュルジュとの部屋に行き、目覚めるとアリスはいなくて、鏡に映る自分を見つめるイザベルのカットでエンディング。

特に際だった演出はみられないし、淡々と語られる物語の中に、思春期の少女の危うい姿を映し出すことには成功しているが、どこか物足りない。スパイスが足りないと呼ぶべきか?フランソワ・オゾンはもっと刺激的な映画を撮っていたように思えるのですが、それがちょっと残念な一本でした。


大統領の執事の涙
非常に丁寧に描かれた人間ドラマの秀作、決して派手な演出を施さず、しっかりとしたカメラでとらえていく一人の黒人執事の物語は、まじめすぎるといえなくもないが、そのきまじめさが、素直にラストシーンの感動を呼ぶことができます。

確かに、7人の大統領に仕えたという激動の物語として描かれているはずですが、その背景というか、テーマは、冒頭から完全に黒人問題である。その点が、日本人には厳しい部分かもしれませんが、それでも、いい映画です。

ホワイトハウスの待合室で、一人の黒人が待っているシーンに始まり、物語はこの男の少年時代、綿花畑で働く1926年へさかのぼる。そしてそこで、父が白人に殺され、主人公セシルは屋内奴隷になり、その家を出て、やがて、ホテルの執事からホワイトハウスに招かれるまで、ハイテンポで駆け抜けて本編へ流れる。このバランスが実にうまいのがこの映画の良さである。

そして、物語は、次々と大統領に仕えるセシルの物語を通じて、アメリカの歴史を語るかに見えるが、セシルの長男で黒人運動に参加するルイスの姿を反面に配置したストーリーで、セシルとの対立を交えながら、今なお根強い黒人差別の部分をえぐっていく。

ルイス達がカフェで、白人の席に座り抵抗する姿と、セシルが、大統領のパーティでいすを引くシーンを交互に重ね合わせて、物語のテーマへと映画を動かしていく。

そして、最後まで、忠実に大統領に仕えるセシルと、執拗に黒人運動に身を投じ、父と相対するルイスの姿を描写しながら、やがて、セシルが、執事を辞して、やっとルイスの活動に理解し、そのデモに参加して、親子の絆を取り戻し、オバマ大統領の就任でクライマックスを迎えてエンディング。

ファーストシーンと同じカットで、オバマ大統領に接見しにいくセシルの後ろ姿で暗転。じわっと胸が熱くなるラストシーンです。少々、黒人問題を押しつけてくるのが鼻につかないことはありませんが、大好きなフォレスト・ウィッテカーの熱演が、目を見張る作品であり、なかなかの一品でした。監督はリー・ダニエルズです。


「ROOM 237」
スタンリー・キューブリック監督の「シャイニング」に登場する、237号室を題名にした、ドキュメンタリーですが、冒頭にもテロップされるように、キューブリック関連の方の了解を得ているわけでもないという。つまりあくまで、私見だと言い切った上で始まる映像は、とにかく、おもしろい。

原作にある217号室がなぜ237号室に改変されたのか?など、さまざまな原作からの変更の意図、それは、ナチのホロコーストであり、先住民を征服した歴史であり、アポロ11号の月面着陸映像の捏造であると、多方面にわたる。

過去のキューブリックの映画との共通点を指摘しながら、さらに、「シャイニング」自体の映像の中の、意図的なミスまでを取り上げて、天才キューブリックの考えを考察していく展開は、興味津々である。

最初にあくまで私見で、なんの真実もないといわれているにも関わらず、確かに、この映画で語っていることは、キューブリックが目指したことではないかとさえ思えてくる。

大好きなキューブリックの映画がふんだんに登場するだけでなく、過去の様々な映画も登場するので、映画ファンにはたまらなく楽しいのだが、おそらく、映画ファンならずとも、映画のおもしろさを実感できるのではないかと思います。もう一度見たくなる映画でした。