くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「オール・イズ・ロスト〜最後の手紙〜」「パラダイス:愛 

オールイズロスト

「オール・イズ・ロスト 最後の手紙」
全くヒットしていないようですが、これが意外と良い映画でした。たった一人、ロバート・レッドフォード扮する漂流者のみが登場人物で、せりふというせりふもなく展開する物語は、一見、実験的な映画にとられなくもないのですが、丁寧に、そしてリアリティをまじめに見据えて撮影しているカメラと演出が本当にすばらしい一本でした。

監督はJ・C・チャンダーという人です。

映画はスマトラ沖、独り言のせりふから始まる。「自分は自信過剰だった・・・」という内容の言葉、実は、ラストで、最後の最後、瓶につめる手紙の内容のようである。そして、物語は8日前に戻る。

ヨットの中で目覚めた男、船の異常に気がついて外にでると、ヨットに、漂流してきたコンテナが接触し穴をあけている。しかし、彼は冷静にその穴に対処していく。そこに、素人臭いミスや、ハプニングは登場しない。この徹底したリアリティが、このあと、嵐に巻き込まれ、どんどん危険な状態に陥っていく彼の姿を、緊迫感ある展開として映像に映し出していく。

嵐になり、それに対処すべく、次々と道具を取り出して対応していく。しかし、ついに、救命ボートに乗り移らざるを得なくなる。食料が減っていき、水も不足していく。目の前を船が通るのに、救命灯が役に立たない現実、前半ほとんど音楽も挿入されないが、次第に、命の危険が身近になると、ゆっくりと背後に音楽が聞こえてくる。カメラが、漂うようなボートを下からとらえる。その撮影も実にすばらしい。

そして、最後の最後、瓶に手紙を入れて覚悟するが、彼方に船の光、すでに救命灯も尽きて、仕方なくボートの中で紙を燃やす、それがボートに燃え移り、そのまま海に投げ出される男、すぐに力つき沈んでいく彼を、カメラがゆっくりと追っていく。これで終わりかと思ったところ、海上からのサーチライトが見え、最後の力で浮かび上がり、さしのべられた手にすがってエンディング。

ラストはハッピー・エンドだろうと思って、前半は安心して見ている。後半の、舟に気づかれないシーンも、それはそれでありか、とみているが、実は、悲劇的なラストなの?と思ってしまう最後の最後、サーチライトが照らすラストはすばらしい。

地味と言えば地味だが、ぜんぜん退屈しない、なかなかの映像作品だったと思います。一見の値打ち十分の一本でした。


「パラダイス:愛」
毒の固まりの映画とは、こういう作品を言う。ここまで毒にまみれていると、それに何の違和感もなくなる。それでも、映画は絵になっている、その才能がすごいのだろう。監督はオーストリアのウルリヒ・ザイドルという人。

映画が始まるとダウン症の大人たちがゴーカートのぶつかり合う遊園地にいて、一斉に動き出す。それを見つめるだけの主人公テレサのシーンではじまる。

テレサは中年のぶよぶよの女である。娘を預けて、友達とケニアへヴァカンスに行く。そこでは、黒人たちを買春する。かなり差別的に黒人たちを扱うぶくぶく太った中年女たちのバカ騒ぎは、ふつうに見ればかなりの醜態であるが、それを絵にして映像に仕上げていくこの監督の手腕は、いったい何なのか?

男たちの体を求めるが、黒人たちは、片言で金を要求する。これもまたものすごい彼らへの蔑視である。そして、奴隷のように命令するテレサたち。しかし、どこか自分たちの醜態に気がつき、テレサは一人浜辺を歩く。バク転をしながら黒人たちがすれ違う、暗転。

全く、恐ろしくも、不気味なくらい、ちりばめられた毒々しさを映画として楽しむ一本である。


「パラダイス:神」
一人の狂信的なキリスト教徒であるアンナという女性の物語を通じて、信仰、神の存在について問いかけてくる、というか、毒々しく描ききる作品。

日々、キリストの像を崇拝し、狂心的な集まりを催し、なりふり構わず、家を訪問して、マリア像をあがめるように活動するアンナ。ある日、元夫ナビルが帰ってくる。夫はイスラム教とで、事故で半身不随、車いすがはなせない。しかし、SEXもいみきらうアンナは、夫をぞんざいに扱う。

そんな妻をののしり、罵倒する夫。それでも、執拗に無視するアンナ。しかし、夜道、公園で、乱交する複数のカップルを目にしたり、思わず、キリスト像をベッドの中で抱きしめ、自慰をしたりする。

そして、アルコール中毒の女のところで、取っ組み合いながらも信仰を進めるも、その帰り、嵐に遭う。家に帰り、泣き伏せ、夫に組み伏せられて、無理矢理体を求められるのをはねのけ、その後、キリスト像に「なぜ、これほど私に試練を与えるのか」と罵倒し、唾を吐き、キリスト増をむち打って暗転。

全体が、シンメトリーな左右対称の構図を徹底し、映像的には非常に美しいが、一方で、その画面が、かえって、不自然さを助長する。神を冒涜するわけではない。いきすぎた行動をするアンナの姿にアイロニーを含ませているのか、妙に嫌みにもならない演出が、非常にオリジナリティを感じさせる出来映えになっている。

独特の映像表現であるが、その感性は驚くほどにとぎすまされているのが、この監督の才能であろうかと思います。


「パラダイス:希望」
三部作の最後は、メアリーという少女の物語。肥満からのダイエット合宿に入ることになったメアリーが、合宿所での担当医師への恋心を中心に、ある意味どこにでもあるような少年少女たちの今時の行動が描かれていく。

前二作と比べると、ほとんど毒のない、ふつうの作品的な一本で、これと言ったはじける場面はない。若干、担当医師がふつうではないような描写があるとはいえ、ほとんど許容範囲の展開なのである。
と思うのは、日本人の見方であり、本国では、これもそれなりの衝撃作だったのかもしれないが。

ラストで、このメアリーのお母さんは第一作のテレサであり、第二作のアンナはテレサの姉で、メアリーが預けられた先というようなエピローグも交えて、物語は終わる。

シンメトリーな画面はあるものの、美しい構図はほとんどみられないし、本当に、三部作の中で一番ふつうの一本でした。