くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「グランドピアノ 狙われた黒鍵」「愛の渦」

グランドピアノ

「グランドピアノ狙われた黒鍵」
めまぐるしいほどのカメラの切り替えし、回転、クローズアップ、長回し、スプリット効果などを駆使して描く映像サスペンスであるが、結局、B級映画の枠をでない一本でした。

おもしろい題材なのですが、使うべきところに使ってこそ、カメラテクニックというのは生きてきます。そのあたり、ヒッチコックブライアン・デ・パルマは抜群にうまいのですが、それが全編にわたると、騒がしいだけになる。

監督はエウヘニオ・ミラという人である。

一方、登場人物の背景をほとんどカットした演出が、かえって、人物のミステリアスな存在感を薄っぺらなものにしてしまい、物語がドキドキしてこない。

エマとトムの夫婦関係も何かありそうなのに、そこは思わせぶりだけで後は無視、エマの友人の冒頭部分もさりげなく流して犯人に殺されて終わる。

結局、イライジャ・ウッドはこういうB級映画にしか呼ばれなくなったのでしょうか。

映画はある倉庫に男たちが集まり、一台のピアノを運び出すシーンに始まる。そして、飛行機の中の主人公トムの姿、空港に着いたカットに交差して、妻エマの華やかな女優としての顔を映し出す。

恩師であるパトリックの追悼コンサートに、その愛弟子で、天才ピアニストであるトムが呼ばれたのだが、このトム、いかにも天才に見えない。そして始まる演奏、楽譜の中に落書きがあり、いうとおりにしないと妻を射殺する、「ラ・シンケッテ」という、パトリックとトムしか弾けない曲を完璧に弾かないと殺すと書かれ、楽屋のヘッドホンをつけると、犯人からの指示が。

確かに、天才だから、会話しながらの演奏は平気なのだろうが、そのあたりの演出が弱い。こんな演奏で、観客は平気なの?と思ってしまう。そのリアリティの弱さが、物語の緊張感を薄めてしまう。

カメラはものすごい勢いで、ピアノを弾くトム、桟敷席のエマ、そして楽譜、観客などを巧みにとらえていく。どうやら、パトリックの隠し財産の鍵がこのピアノの中にあるらしく、特殊に増やされた鍵盤を弾いて、曲を完璧にしたらその鍵が開くというようなことを犯人が語るが、そのサスペンスも、ストーリーに生きてこない。カメラワークがすべてつぶしているのである。

結局、妻を守るために、トムは最後の賭にでて、妻に観客の前で歌わせ、人々の視線を集めることで妻を守ろうとする。?それで、犯人はもう為すすべがないのか?3年もかけた計画だというのに、これまた弱い。

そして、クライマックスはトムと犯人の格闘。そしてピアノの上に落ちて、トムは助かり、壊れたピアノで最後の鍵盤をたたくと、鍵が現れて暗転。

おもしろい話であるはずなので、もう少し落ち着いて、リズムと展開を考えた演出がなされれば、かなりの一品になった気がするのが残念な作品でした。この手のB級映画ならではのエンドクレジットがやたら長い。まぁ、みて損はないけれど、そのレベルの映画でした。


「愛の渦」
これは、なかなかの逸品、単純な物語の中に潜む人間の本当の心、包み隠さない欲望、嫉妬、嫌悪、羨望、それらが見事に閉鎖された空間の中で表ににじみ出てくる。人間を描くとはこういうのをいうのだといわんばかりの圧倒的な映像感性に、打ちのめされるほどの作品でした。

監督は三浦大輔です。

真っ暗な画面にATMの出金の音。一人の学生が二万円あまりを出金、すぐに電話でなにやら連絡を取る。時間はpm11:00とでる。指示されたマンションの部屋に行く途中のエレベーターで一人のサラリーマン風の男に出会う。

時間は10:30にさかのぼり一人の無邪気な感じの女性が、一人の男になにやら説明を受けている。

こうして始まるこの映画、とあるマンションの一角に、SEX好きな男女が集まり乱交パーティをする場所を舞台にする。もちろん、SEXシーンがふんだんにあるものの、描かれるのは、人間が徐々に心をさらけ出していく姿である。

最初はおそるおそる話しかけ始めた男女は、最初のSEXのあと、次第に、SEXの欲望をさらけ出す。そして、時間がたつと今度はお互いへの嫉妬や妬み、さげすみなども露わになっていく。

背後に流れる音楽のセンスとタイミングが、抜群にすばらしいのもこの作品の特徴である。
登場人物の心の変化が出始めると、曲がその流れを表すようにリズムを生み出して挿入されるのである。

そして、確執がピークになったところで一組のカップルが参加、その複雑な展開の後5:00の終わりの時間がくる。

最後に童貞だった太った男が、熟練した女と絶頂を迎え、みんなに拍手される下りもなかなかのエピソード。さらにエピローグとして、冒頭の学生が、女学生と、ファミレスで会うが、女学生は「あれは本当の私ではない」というのに対し、男は「あれは本当の自分だった」と語る。そして女は携帯の履歴を消してほしいというのだ。

この映画にありきたりの恋の展開はないということを徹底して貫く。
ラスト、キャンパスでにこやかに友達と語る女学生のシーンで暗転。圧倒される自己主張に、この作品のすごさを見せつけられるラストシーンである。

好みがあるかもしれないが、平凡な裸を見せるだけの個性的な作品とは全く違う。これが映像表現の姿である。