くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「ゼウスの法廷」

ゼウスの法廷

甘ったるい、陳腐な邦画が居並び、かなり辟易していた中でのこの作品、相当に良かった。傑作かもしれない。

これほどの脚本を書ける映画監督がいるのだと、感心してしまいました。監督は高橋玄という人です。

もちろん、フィクションですが、緻密に練り込まれた物語の構成と組立、エピソード、せりふの隅々までのこだわりの強さが、ものすごいリアリティを生み出しています。もちろん、監督のメッセージが前面に押し出される場面はありますが、アメリカ映画を思わせるような、ダイナミックな音楽の挿入と、スローモーション、オーバーラップ、疑似映像の挿入など、カメラテクニックを駆使した演出が、娯楽映画としても通用するおもしろさを生み出している。

物語は、一人の男加納が、目覚ましで起き、衣服を整え、颯爽と出かけるシーンに始まる。まるで、ヒーローのような登場シーンで幕を開けるこの映画の主人公は若くして判事となったエリートである。そして、彼は、上司の紹介で見合いをした中村恵と婚約関係にある。前途揚々の彼の姿からの導入もいい。

一方、多忙を極める判事の仕事は、当然、一緒に住む恵ともまだ式も挙げていないし、届けも出していない。一緒に住んでいても、判事言葉で恵に接し、体を求める恵にも機械的に11分しか時間はないとSEXをする。ある意味、コミカルにさえ見えるこのシーンに、さらに機械的に裁判をこなすシーンも描かれる。

ところが、そんな婚約生活に疑問を持ったさなか、恵に同窓会の知らせが届き、その席で、かつての恋人山岡に出会うのである。そしてなるべくしてよりを戻す恵と山岡だが、婚約解消を決意し、その報告に山岡のアパートに行った恵の前に、愛人と現れる山岡。そして、もみ合う中で、階段から足を滑らせた山岡は、死んでしまう。恵は、気は動転したものの、落ち着いてから自首する。

一方加納の同僚で、今の機械的な形で、過去の判例を頼りに裁判することに疑問を持つ内田は、判事を辞めて弁護士となる。

そして、恵の裁判へと物語は進むが、なんと、加納が判事として名乗りを上げ、内田は弁護をし、裁判所側は、有罪にするべく、検事にも、裁判所側の人間を配置する。こうして法廷が幕を開ける。一つ一つの設定がきっちりと組み立てられていき、クライマックスを迎えるという、構成のうまさが絶品なのです。さらに、サスペンス映画の常道よろしく、仰々しい音楽がかぶるが、巧みなオーバーラップで見せる法廷シーンが実にうまい。

このシーン、もちろん、弁護士と検事の戦いはあるものの、それほどの見せ場とせず、あくまで、元婚約者の判事加納と恵の物語としてきっちり描いている点が、すばらしいのである。確かに、そこはややリアリティに欠ける展開かもしれないが、しっかりとしたせりふの書き込みゆえに、このシーンも迫真のリアリティを生み出してくる。

判決は、「無罪」。その主文に至る経緯を高橋玄監督のメッセージで語るが、その演出にも無駄がないのがいいし、このクライマックスへの展開のサスペンスフルな娯楽性も評価されるに十分である。

そして、無罪となった恵と、判事を目指した本当の自分を取り戻した加納は、笑顔で寄り添い、法廷を出ようとする。関係者がドアを開けてで行こうとすると、そこにかつて、不本意な判決を受けて恨みを持つ男が、包丁をかざして、加納に迫るシーンでストップモーション、エンディング。確かに、このラストは、陳腐であるかもしれないし、そういうふうに感想する人もいると思うが、判事を恨む被告のエピソードは、前半で、加納の同僚が、駐車場で刺される場面を伏線としているし、官舎が、匿名になっていて、判事が住んでいることは公にしていないという内田のエピソードにも、ちゃんと伏線を張っている。この、脚本の組立も、しっかりしているので、ラストも、ちゃんと生きるのである。

重い映画だろう、メッセージ前面の自主映画に近い作品だろうと高をくくっていたので、その商業映画としての完成度、クオリティの高さに、感心、いや感動してしまいました。演じた俳優陣もしっかりとした演技を披露しているのも良かったと思います。傑作です。