本来ドキュメンタリーは見ないのですが、これほど話題になると、一応見なければと思って見に行った作品。
正直、どう感想を書いたらわからないが、迫ってくる物があまりにも重すぎて、しんどかったというのが素直な感想である。いや、しんどい以上に、何か、入りきれない物があるように思えるのです。
映画は巨大な魚のオブジェの中から、女たちが踊りながらでてくる。この映画、実に画面が美しいのも特徴である。滝の前で美しい衣装をなびかせて踊るショット。
扱っている内容は、かつて共産主義者を大量に虐殺したのだが、その中心が民間のやくざ組織のようなプルマンと呼ばれる人々で、彼らの被害者を映画の題材にしていたところ、当局の妨害にあい、それならと加害者側を描くことにしたという物。しかも、本物の加害者を役者のように見立てて、殺戮を再現する映像をドキュメントタッチで描いていく。
どこまでがフィクションで、どこまでが史実かと、その境界がうやむやになる中で、画面はひたすらに美しい。そのギャップが、終盤になるにつれ、嫌悪感をも生み出してくるのがつらいし、インドネシアの国柄が理解し得ないのももどかしい。終盤、殺戮者のリーダーが、殺戮した場所で、ひたすら嘔吐を繰り返すのはいかがなものかと思えるほどに醜い。
独特の鬼気迫る緊張感が、非常なオリジナリティとなって完成されているが、ラストは冒頭の魚の場面に戻ってエンディング。いったい、プルマンたちを賞賛したのか、未だに共産主義者への嫌悪感をスタッフたち、インドネシア国民たちが持っているのか、微妙に受け入れがたい映画だった。
「キャプテン・アメリカ ウィンター・ソルジャー」
スピード満点のカメラワークとアングルの切り替えし、とにかくアクション映画としておもしろい。だれることもなく、最後まで楽しめる娯楽映画としては成功作品でした。
ただ、ストーリーが非常に組立が雑で、CGアクションを中心にした映画作りになっているのは、いまどきのSFアクションの定番で、それをどうこうというために見に行ったわけでもないから、いいとしましょう。
物語の中に、主人公スティーブのかつての幼なじみで、死んだと思われていたパッキーが敵として登場し、スティーブ同様に改造された体で戦うのが今回のストーリーのサブの部分と、ローバート・レッドフォード扮するヒドラの幹部ピアースが、シールドを占拠、乗っ取り、大量殺戮をするプログラムを組み、実行せんとするのを阻止するスペクタクルシーンがクライマックス。
今更ながらの派手なバトルシーンを楽しんでエンディングを迎える。ああおもしろかったという娯楽エンターテインメントでした。