くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「友だちと歩こう」「ある過去の行方」

友だちと歩こう

「友だちと歩こう」
緒方明監督作品だが、朝一番の一回上映。なるほど、一回上映が納得できる一本。いわゆる不条理劇という感じで、常に画面には二人、あるいは三人のからみのせりふの応酬で、物語らしきものが進む。舞台劇としてもいいような感じである。

映画が始まると一軒のカフェ、店員のアップ、木の倒れる音が聞こえるとかどうとか議論する、やせた男トガシと太った男モウリ。水ばかり要求された店員がテーブルいっぱいに水を注いで暗転、一年後になる。

足を引きずり降りてくる老人富ちゃん、下で待っているよぼよぼの老人国ちゃん。二人は友達で、たばこを買いによぼよぼと遠い店まで歩く。途中、先日彼らの住むアパートで飛び降りた女の子が、足にギブスをしていて、公演で出会い、彼女は郵便局に行くということで一緒にふらふらいく。虫に先を越されるシーンや、ごみにつまずくシーンなどが可笑しい。

コミカルなシーンであるが、どこかアイロニー満点の中に切ない怖さも漂う。女の子との別れ際に、富ちゃんが「わしより先に死ぬなよ」と叫んで暗転。

一ヶ月後、冒頭の若者二人が、モウリの元妻の家にむかって歩いている。怖いもの見たさだというモウリ、彼の元の家について、元妻の今の夫と会い、すでに7歳になり、モウリの子供ではない子供と会い、夕食をともにし、そんな空気が耐えられないトガシは今の夫を連れ出す。やがて、モウリは一人家を出てきて、今の夫とすれ違い暗転。

一週間後、富ちゃんが約束の場所に来ないので待っているよ国ちゃんのシーンで始まる。富ちゃんの部屋に行くと、筋を違えて動けない。仕方なく国ちゃん一人でたばこを買いに行くが、途中で河原に落ちてしまう。翌朝、動けるようになった富ちゃんが、河原に落ちた友人国ちゃんを見つけ、二人ではいあがろうとして、途中で力つきていると、トガシが通りかかり、助けてもらい、カフェに行き、モウリからのテープレコーダーを見せる。聞いてみると波の音。

渋るトガシを連れて、富ちゃんが浜辺にモウリを探しに行って、カメラがゆっくりと引いていって遠景、いたようないなかったようなで暗転エンディング。

あるようなないような、舞台ドラマのような展開が、個性的ではあるが、商業映画としてはその存在位置は難しい一本で、これという大きなストーリーもないオムニバスのようなエピソードの羅列になっている。

ゆっくりとカメラが長回しで会話をとらえていく演出になっていて、お世辞にもわくわくする展開はないが、何気ないコミカルなシーンに笑いを呼ぶ。

友達というテーマを、斜めに見据えるような、ちょっと変わった一本と評すればいいのだろうか、しかし、どこかに、死を間近にしているようなブラックな面が見え隠れする、そんな映画でした。


「ある過去の行方」
ぎゅうっと首を締め付けられるような、濃い空気が漂ってくる、緻密すぎる映画。ここまで隅々まで作り込まれると、正直、息苦しくなってきます。しかし、作品は一歩抜きんでた傑作でした。

映画は空港に出迎えにきたマリーのカット、ガラス越しに元夫のアーマッドが降りてくる。ガラスを挟んでサイレントのような会話シーンと、焦点をずらした美しい映像、静かなシーンから急転換して、外は土砂降り、二人はマリーの車に乗り込む、バックした後、ワイパーを動かすのにかぶってタイトル、それがワイパーの動きにあわせて消えていく。息をのむようなファーストシーンに、思わず座りなおしてしまった。

物語は、テヘランから離婚調停のためにパリにやってくるアーマド。元妻マリーはすでに新しい夫となるサミールと暮らしている。アーマドの娘レアが迎える。ほどなく学校に通う長女リュシーも帰ってくる。

ここまで語ると、普通の破綻を迎えた夫婦の話に見えるのだが、物語は少しずつミステリアスな様相、サスペンスフルな展開を見せる。監督は「別離」のアスカー・ファルハディである。

サミールの元妻は鬱病で、8ヶ月前に自殺未遂を起こし、植物状態になっている。その原因は、サミールとマリーのメールを見たためだという物語が浮かび上がってくるが、では、それを妻に送った人は誰か?と突き止めていくと、実はリュシーで、リュシーはずっとそれに悩んでいる。しかし、なぜアドレスを知っていたのかという謎が、やがて、サミールのクリーニング店で働いている不法就労の女性へと流れ、その女と差ミールの妻が諍いを起こした原因が、客のクレームへ流れ、クレームの原因となったドレスのシミの犯人は誰かとなり、実は妻はサミールと店員が不倫しているという疑いを持っていたのではないかという憶測へ及ぶ。

二転三転し、奥深くへどんどん入り込んでいく緻密なストーリー構成。しかし、そのどれ一つとして、真相がはっきり出さないミステリー。アーマドが四年前にマリーの元を去った理由も、明らかにされず、マリーはマリーで、たやすく新しい恋人を作るという人間的なキャラクターもミステリー。

自分が、自殺の原因を作ったというリュシーの苦悩、次女レアやサミールの息子ファドの苦悩などなどが、しっかりとしたせりふの中に、具間見える謎を組み込んで展開していく物語も一方で挿入される。

やがて、離婚調停も成立、アーマドもマリーの元を離れテヘランへ帰っていく。サミールは病院で昏睡状態の妻の元へやってくる。臭いの反応を見るために香水を持参したが、看護婦は1、2本試しただけだという。

いったん帰りかけるサミールの後ろ姿をカメラがとらえ続け、そのままUターンし、もう一度病室に入り、首に別の香水をつけて、妻に顔を近づける。「もし、臭いを感じたら、手を握ってほしい」カメラはゆっくりと、二人の手の部分へ移動し、その画面を凝視する観客を意識するように、左半分にエンドクレジットがかぶる。握るのか握らないのか?そのまま画面は暗転。美しすぎるすばらしいラストシーンである。

名作という評価ではなく、といって傑作という表現が妥当かというと、それも違うかもしれない。マリーに共感できないとか、親子の関係が許せないとか、いろいろ多方面な感想がでてもおかしくないかもしれないが、映像作品としては、一歩抜きんでた作品であると思う。恐ろしい才能である。