くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「とらわれて夏」

とらわれて夏

単純な、犯罪者と離婚した女性との危険な恋物語と高をくくっていましたが、映画の視点が、子供の目を通すという、ちょっと甘酸っぱさも見え隠れするところが、この監督の趣味なのかもしれません。

「ジュノ」のジェイソン・ライトマン監督です。

この映画の主人公は、少年ヘンリーなのでしょう。彼が語る両親の離婚から、母親との二人暮らしに至るナレーションへと移って映画が始まります。時は1986年。離婚による落胆から、いや、終盤に語られる夫との生活の中での悲劇の連続からか、引きこもったような母親アデル。車を運転してヘンリーとスーパーに行こうとするが、ギアを入れ忘れ、ヘンリーに補助されるというカットから、二人のたち位置を見事に描写する。

スーパーで買い物をしているとヘンリーの前に髭面の男フランクが立ち、助けてくれという。見ると、右わき腹に血がにじんでいる。

普通、こんな怪しい男を母親のところにつれていかないだろうと思うのだが、そこは映画のストーリー展開の導入部として、このシーンに目をつぶるのだが、実はこのシーンによって、映画がこのヘンリーのじっと見つめる目が頻繁にでてくることから、彼が主人公だとわかるのである。

やがて、家まで押し掛けて居座るフランク。最初は数時間だけのはずが、一日、二日と過ごしながら、お礼に料理をし、薪を片づけ、車を直し、ヘンリーとキャッチボールをしたりと、この家の仕事を手際よくこなす。

時々、フラッシュバックで、フランクが刑務所に入るきっかけになった事件が何度か挿入され、一方でアデルの結婚生活も挿入され、物語はどんどん深みを帯びてくる。しかし、その所々に存在するのがヘンリーの視点で、かれは、母親が父と別れ、寂しさを感じているのを察知しているのだ。それも、思春期の彼が敏感にとらえるのが、母親の男への欲望である。この、危うい描写がこの映画のテーマであり、メッセージなのである。

ヘンリーはスーパーで出会った女の子に声をかけ、密かな恋心を持つ。一方で木曜、金曜、土曜とヘンリーとフランク、アデルの生活が流れていく。そこへ、近所の厚かましい女性が、車いすの息子を預けたり、というエピソードも組み入れられ、ストーリーにどんどん、おもしろいテンポを生み出していく。

そして、5日目になるや、アデルとフランクはカナダへ逃避行する計画となり、それを冷ややかに見つめるヘンリー。しかし、父親に別れの手紙を届けたヘンリーからか、どこからか、フランクに警察が迫る。アデルとヘンリーを縛り、自首するフランク。

そして、仮釈放までどんどんシーンが流れ、すでに大人になったヘンリーは、かつて、フランクに教えてもらったパイを商売にしている。その記事をみたフランクは、仮釈放されて真っ先にアデルのところへやってくる。そして、抱き合って暗転である。

確かに、二人の再会で映画は終わるのだが、その脇に常にヘンリーの存在があり、物語の中で、大人は古びたロマンに生き、少年少女たちはクールな現実に生きているというイメージを感じさせるせりふが何度もでてくるのだ。

フランクが居座っているときに見る映画に「未知との遭遇」「E・T」があり、「俺たちに明日はない」のボニーとクライドのエピソードがヘンリーのガールフレンドから飛び出したりするのだ。

非常に、練られたせりふと、ストーリー構成のうまさが、平凡なラブストーリー、平凡な親子の物語で終始するのを、一歩抜きんでたドラマに仕上げている。なかなかの秀作でした。