2時間以上ある娯楽映画にしては、正直、退屈だった。つまり、人間ドラマを描きすぎている。
3Dが売りだというなら、その部分だけがエンターテインメントで、それ以外をとにかくひたすらドラマを語っていくのは、ちょっといただけない。さらに、この手のヒーローものとして、やってはいけないヒロインの死。これはいけないね。
先日見た「キャプテン・アメリカ ウィンターソルジャー」の方がおもしろかったのは、アメコミの映画版として、その娯楽性に徹したためである。
映画は、ピーターの幼き日に始まる。そして、父親がプライベートジェットの中で、何者かに襲われ、そのまま死んでしまう。死ぬ間際にパソコンデータをルーズベルトなるところに転送する。
時は移って、町中を守るスパイダーマンのシーンが続く展開へ。第一作から続く恋人グウェンとの複雑な物語が、ちらほらと絡み始めるが、それがだんだんと鼻につくほどにしつこくなってくる。そこへ、オズコープ社の社長が死に、ピーターの友達のハリーが戻ってくるのだが、ここからの展開も、非常にもたつく。
一方で、マックスという男が、電気事故でエレクトロという怪物になり、本来、この男とスパイダーマンの戦いがクライマックスのメインに進むはずが、人間ドラマのエピソードが長すぎたために、かすんでしまっている。そして、ハリーもまた蜘蛛の血を注射して怪物になったはずが、いともたやすく消えてしまうし、その場で、グウェンが死んでしまう。これが最大のこの映画のミスである。その上、ピーターの父が残したルーズベルトの謎が終盤に登場するが、それが結局、あまり物語の中で重要な存在感を見せない。
ヒーローものは勧善懲悪を徹底しないと、すかっとしたおもしろさがでないし、ヒーローが浮かび上がらないが、そこを、オリジナリティにこだわったのか、守るべき鉄則をはずれたのが最大の失敗になった。
さらにエピローグとして、恋人の死でスパイダーマンをやめたピーターのまえに、しょぼいロボットアーマーが登場し、それを退治するために再び立ち上がってエンディング。これはない。
ヒーローもの失敗作の典型になった。