くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「超高速!参勤交代」「トランセンデンス」「渇き。」

kurawan2014-06-30

超高速!参勤交代
軽い、あまりにも軽すぎる普通の映画。何の取り柄もないが、何のこだわりもなく気楽に、さらりと見ることができる一本。そのあまりにも頼りない映画ということで、見た甲斐があったのかなかったのか、その程度の一本だった。

城戸賞受賞の脚本というのだけが頼りの一本ですが、とりつくものもない映画でした。

映画は、東北の小さな湯長谷藩がようやくの山近郊対を終えて、地元に戻ってくるところから始まるところが、この藩の金山の利権を得ようとする、老中松平の画策で、帰るそうそう、四日間でもう一度参勤交代せよと命が下る。

一度は、反抗的になるも、これもお上の命と、知恵者の家老相馬の知略により、計画を立てるいわば、時代劇コメディであるが、この相馬の次から次に生まれる知略を、メインの娯楽にすればもっとおもしろかった気がする。

確かに、忍者戦などのアクションシーンも盛り込み、藩主と女郎の恋物語も含んでの盛りたくさんのエンターテインメントになっており、横になりながらでも楽しめる軽い作品に仕上がっているが、せっかく映画館に足を運んで楽しむレベルから、若干遠いような気もする。

主演の佐々木蔵之介はじめ、芸達者を配置して、それなりの作品レベルを維持しようとしているが、もうちょっと、がんばればそれなりに楽しめる一本に仕上がったろうに、ちょっと、安易すぎる作品でした。


トランセンデンス
いわゆる、”超越”という意味に近いことを、映画の前に日本語でナレーションされるこの作品。それほど難解なテーマなのかと思いきや、シンプルそのものの物語だった。

クリストファー・ノーラン製作なので、その手の作品ではあるのだが、彼の作品の脚本を担当しているウォーリー・フィスターという人で、さすがに演出力はかなり劣る。その意味で、今一つの作品という出来映えだった。

技術進歩が危険視されるようになっている近未来の荒廃した姿で幕を開ける。

人間の脳の意識さえデータにして転送することができるPINNと呼ばれるスーパーコンピューターを研究する主人公ウィル。彼には同じく研究者で愛する妻エヴリンがいる。

ある日、反技術革新テロ組織RIFTの銃弾によって倒れたウィルは、その銃弾に仕掛けられた感染病によって、死んでしまう。しかし、意識のデータ化を研究する同僚のマックスとともにエヴリンがウィルの意識をコンピューターに転送。未完成の機械ではあったが、奇跡が起こり、ウィルはコンピューターの中でよみがえる。

やがて、ネットに接続、膨大な知識と技術を身につけたウィルは、エヴリンと共にそれにより得た資金で、郊外のゴーストタウンを買収、巨大なコンピューターラボを作ってしまう。

そして二年、そのラボでは、ナノロボット、再生技術などを駆使し、神業とも呼べる奇跡が行われていたが、その目的の真相は、世界中のものを手中にし、超越した生まれ変わりの世界を作ることだった。と思われた。

危険を感じたマックスたちは、軍とRIFTの協力で、破壊工作を開始する。一方のエヴリンも、ウィルの暴走に危険を感じ、一端はラボを脱出。

ノロボットを駆使して、敵を排除し、肉体改造された人間を通して自らの意志を伝え、敢然と立ち向かう。マックスたちはエヴリンにコンピュータウィルスを仕込み、唯一ウィルが新ずるエヴリンを通じて、彼のコンピューターにウィルスを転送する事にする。

自らを犠牲にし、愛するウィルを消し去るために乗り込むエヴリンのクライマックスが涙を誘うはずが、どうもこのクライマックスが弱い。しかも、地面を張ってくるウィルの操作するナノロボットがマックスたちを襲う場面はもっとスペクタクルでもいいと思うが、かなりスケールダウン。

前半部分が実によく練られた展開で、哲学的なSF思想が覆う壮大なドラマなのだが、中盤から後半がじつにあっさりと、終盤に向かっていく。後半の弱さが、作品の壮大さをぶちこわしてしまうストーリー展開が弱い一本で、しかも、内容は哲学的ならストーリーに固執しているために、やや退屈さも覚えてしまう。

結局、愛するエヴリンのためにすべての行動を起こしたウィルの物語、というラブストーリーとして描こうとしたのだと、ラストシーンで理解できるのだが、それなら、後半のでだ死は思い切ったシーンにして、最後にすっとまとめるべきだったのではないか。

おもしろくなかったわけではないが、ジョニー・デップはまじめな映画にでると、どうもこける傾向があるような気がする典型的な一本だった。


「渇き。」
期待の中島哲也監督作品だが、原作は先日たまたま読んだ深町秋生果てしなき渇き」。実はこの原作は、読んだときには、なんとも稚拙な文章だと思った。でも、監督が中島哲也なら、原作の欠点など吹き飛ばしてくれるだろうという期待いっぱいで見たのですが、さすがに、今回はやりすぎ。中島監督独特の感性によるリズムが感じられない。

映画が始まると、クリスマスイブ。町には華やかなネオンと、音楽、恋人たち。めまぐるしいほどの細かいカットを繰り返して、一組の男女が車の中にいるところに、むさ苦しい男の車がつっこむ。むさ苦しい男はこの映画の主人公藤島昭和。車の中にいたのは、彼の妻と不倫相手。

カットが変わると、コンビニで惨殺されている若者たち。血だらけのなかで、藤島が警察にいる。どうやら目撃者らしい。

次々と繰り返されるカット、うるさいほどの編集で、この男に妻からの電話。娘の加奈子が失踪して帰ってこないという。

とにかく、恐ろしいほどの短いカット編集が全編走り抜けるのが今回の作品の特徴である。冒頭のシーンが一段落すると、まるで西部劇調の文字でタイトルが流れ始め、髭だらけの藤島の顔などが写される。

藤島が自宅に戻ってみると、加奈子の部屋には、ブランド服、鞄の中には覚醒剤が見つかり、妙な写真も散乱。こうして、藤島が娘加奈子を捜すのが本編となる。

仕事一筋で家庭を顧みなかった上に、妻も不倫をしていて、娘加奈子のことは両親は全くわからず、少しずつ見えてくる加奈子の本当の姿。

三年前の高校時代の加奈子の素顔。一人の少年に好かれ、彼を助け、実は不良少年とつきあいがあり、さらにさらにと、謎が深まる。このあたりも原作通りだが、とにかく、現在と三年前が繰り返され、それぞれの映像編集が細かいので、片時も目を休められない。

一方、現在のドラマで、藤島につきまとういけ好かないキャリアの刑事。真相に近づくのか離れるのか、つかずもどらずの繰り返しが、ひたすら、殴りあい、血しぶきが飛び散り、血だらけの人物たちが画面を覆っていく。しかも、日本語ながら、スラングと罵倒の言葉が耳に飛び込んできて、若干うんざりしてくるのである。

周辺の登場人物も、見せるようで、見せない演出と、暴力シーンのてんこ盛り、ケラケラ笑う加奈子のカットと、次第に物語が一本につながる演出はさすがに中島哲也の真骨頂だが、それにしても、くどい。

結局、加奈子は、娘を加奈子に利用され、その復讐に、学校の先生に殺されたらしいという真相に迫り、雪山に埋めた加奈子を掘り出させるべく先生を伴って雪山へ。そこで必死に掘る藤島のストップモーションでエンディング。

犯罪エンターテインメントというキャッチフレーズだが、いかんせん、暴力シーンと血しぶきと、ポップな音楽、さらにサイケデリックな映像と、確かに、中島哲也の映画ではあるが、今回は、ちょっと個人的にいただけない一本だった。