「友よ、さらばと言おう」
大好きな映画、「すべては彼女のために」「この愛のために撃て」のフレッド・カヴァイエ監督最新作、期待のフィルム・ノワールである。
予想通り、ワンパターンとはいえ、突っ走るスピード感あふれるストーリー展開を堪能することができました。
映画は、アットホームなにぎわいの海岸のシーン。仲の良さそうな男女のカット、かわって、雨のシーン、交通事故のカット、一人の男が車で出かけようとする。同僚が乗ってくるが、忘れ物をしたとでていく。事故のシーンが被さる。ベッドで目を覚ます主人公シモン。いや、相棒のフランク?
例によって、導入部がやたらこった編集で細切れに見せるフレッド・カヴァイエ監督ならではのシーンで幕を開ける。
カットがかわる。シンメトリーな構図とオレンジの色彩の看板、ある駐車場、車が揺れている。男女の戯れのシーンかとカメラが中にはいると、男二人と女性が乗っていて、殴り愛、いや殺し合いのシーン。メインタイトル。
主人公は、シモンという元刑事、人身事故を起こし、今は警備会社に勤務しているらしい。妻のアリスとも別居中で、週に一回テオという男の子と過ごす。二人の間には、どうもすっきりしない空気。アリスには、新しい彼氏がいるが、これもまた今一つの男。
一方、最近、所轄内で殺しが相次いでいる。捜査をするフランクのシーン。
ある日、アリスと彼女の彼氏とテオが闘牛を見に行く。おもしろくないテオはトイレに行くと、アリスから離れるが、廊下で、男たちが誰かを殺す現場をみてしまう。あわてて逃げるテオを執拗に男が追ってくる。しかし、何とか逃げ、警察の事情聴取のシーンへ。そこへ駆けつけたシモン、警護をつけろと怒鳴るシモンを追い出し、アリスとテオが外にでる。シモンはすごすごとバスに乗ろうと。横に、かつてテオを追いかけた坊主の男。この構図が実にヒッチコック的。
実は、テオを執拗に男たちが追っていたのだ。バスに乗ったシモンが、怪しいバイクの二人乗りを目撃、すぐに降りると、バイクの男は機関銃でテオをおそってくる。逃げるテオ、フランクが応戦、もうめまぐるしい追いかけシーンが展開する。
逃げる、追っかける、撃ち合う。一人が死に、もう一人を追いつめたシモンがその男を半殺しに。そして、アリスたちはフランクの家にかくまうことに。
シモンは、テオをねらった男たちを倒すべく、会社から、銃などを持ってでると、フランクが、自分も協力すると車で待っている。
捕まえた男の病院にいき、組織の行き先を追いつめ、そのクラブへ乗り込んだフランクとシモンの銃撃戦、さらにそこで、首領のミランの弟を殺してしまい、ミランたちは、シモンたちを追い始める。
フランクの姉の家に移るべく、シモンとアリス、テオがTGVに乗り込む。見送るフランク、しかし、ミランたちの車を見つけたフランクは、列車にミランたちも乗ったことに気がつき、列車を追う。そして、TGVの中での最後の銃撃戦へ。
音楽が動き出すとそれにつれて、どんどん、ストーリーがかけだしていく。あれよあれよと、ピンチから、ピンチを抜けて、反撃してはまたピンチと、カメラは縦横無尽に敵味方を追いかけていく。この演出のおもしろさはフランク・カヴァイエならではの個性である。
そして、ミランも倒すが、その銃撃戦で、フランクは重傷を負う。いまわの際で彼はかつて、シモンが起こした事故の真相をはなす。
娘へのプレゼントを忘れ、取りに戻る雨の日の二人のシーン。フランクが車に戻るとシモンは眠っていたので、運転を代わり走り始めるが、交差点で事故を起こす。つまり事故を起こし、相手の母親と子供を死なせたのはフランクだったのだ。助手席のシモンも倒れているので、てっきり死んでいると思い、彼を運転席に移して、シモンの運転に見せかけたのだ。それも、娘たち家族と別れたくなかったフランクの思いだった。
しかし、シモンが死んでいなかったこと、この事故がきっかけでシモンが警察を首になり、妻とも別れることになったことに、ずっと罪悪感を持っていたことを白状するのだ。
息絶えたフランク、にぎやかな浜辺のシーン、カメラを構えるアリス、その先にはシモンとフランクの笑顔、暗転。
非常にシンプルなストーリーをひたすら、ハイスピードな演出で、よけいな理屈を排除し、伝えるべきメッセージだけを最初と最後のページに埋め込むというフランク・カヴァイエの作品は、とにかく、分かりやすいし、おもしろい。
しかも、今ではなくなった素朴なフィルムノワールの空気が感じられる映像が、とっても爽快なのです。前二作に比べると、ややレベルダウンな気がしますが、やはりおもしろいです。次も楽しみです。
「2つ目の窓」
河瀬直美監督作品なので、それなりのクオリティはあるし、映像感性で描いていく画面は独特のリズムがある。その点は認めるが、どうも河瀬直美という人は嫌いなのである。どこか、男性を見下げている気がするし、男性の描き方が実に稚拙に見えることがある。
しかしながら、今回も作品としては、そこそこの一本だった。
台風で激しく波が打ち寄せる海のカットから、暗転、静かな海のシーンへ、そして、夜の海岸に、背中に入れ墨をした全裸の男が浮かんでいる。その男を主人公界人が見つけるところから映画が始まる。そして、山羊を捌く老人のカット。懐かしい、この老人はあの常田富士男。
警察の取り調べに、知らないと答える界人。界人の父は、母と離婚し東京にいる。つまり彼は都会人である。
ここにもう一人、彼の友達の杏子という少女がいる。彼女の母親は村の生き神ユタ神として慕われているが余命わずかという宣告を受けている。
舞台は奄美大島。自然に恵まれ、自然のままに生きる人々。自然を敬い、家族を大切にし、神を敬う。しかし、そんな理想郷のような地で、ユタ神といわれるイサが死の床にある。
どうしようもなくやるせない娘の杏子は、明るい娘だが、やり場もなく、服のまま海に飛び込んだり、自分の思いをストレートに界人にぶつける。
カメラは時に手持ちで長回しをし、様々な角度のカットをつなぎあわせて独特のリズムを生み出していく。河瀬直美の感性がとらえる映像は、さすがに才能を伺わせる。
界人の母親は、父と別れ、別の男と体を交わったと界人は信じ、ある台風の夜にそのことで母をののしる。その夜、母はいなくなり、界人は必死で探すが、杏子の父が、心配はいらないと諭す。
そして、母の姿を認めた界人は、自分が一生守ると叫び、そして杏子の気持ちを受け入れて森でSEXし、全裸で海に潜る。自然と一つになって悠々と泳ぐ若い二人のショットからエンディングへ流れる。
確かに、悠久の物語である。そこに流れる独特の時間をスクリーンから感じさせるという演出の手腕を堪能できる一本であるが、男性への視点の偏見がどうも気になる。そんな映画でした。