くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「絞殺」「マダム・イン・ニューヨーク」

kurawan2014-08-06

「絞殺」
目を背けたくなるほどにいやな映画だ。しかし、映画になっている。それはさすがに新藤兼人監督の力量というか、脚本力の見事さである。しかし、いやな映画だ。

映画が始まると、高校生の勉がウイスキーの瓶をラッパ飲みしてそのまま寝てしまう。夜中、父親の保三がムックリ起きあがり、頭に水をかぶり、二階の勉の部屋に向かう。下で見守る妻の良子は、やがて失禁する。保三は暴力を振るう勉を首を絞めて殺す。そして、裁判の場面、物語は、子供時代の勉と、楽しい親子の姿を描く過去へ。

ところどころに、サングラスをかけて、出歩く良子のカット。執拗に土足で彼らの家庭に踏み込んでくる近所の住人、これ見よがしに人生論や社会論を夕食の席で語る保三のかつての姿。

有名進学校に通うためにひっこいてきた狩場の家族。いかにも無口で勉強のできる勉、勉を恋人のようにべたべたと接する母良子、古き時代の父親の威厳を見せつける保三。いかにもステロタイプ化された人物描写、そして、その周りの、勉強以外は害毒であるかのように授業をする先生、これまた装飾品のように存在する何の情もない近隣の人々。

やがて、勉は学校で初子という女性に恋をし、彼女が義父に抱かれている場面を目撃、その直後に、初子は勉を蓼科に呼び、父親を刺し殺したことを打ち明け、体を与え、勉を見送った直後に自殺。

そして、この事件の後、勉は狂ったように両親をののしり、暴力を振るい出す。この急変もまた、映画としての描写であるが、勉が余りにも子供じみて暴れていく姿と、それでもべたべたする良子のキャラクター、豹変して逃げまどう保三の情けない姿。そして、冒頭の絞殺シーンへ流れていく。

実際の事件をもとに書かれた脚本であるが、さすがに映像として見せるために、かなり形をイメージした演出になっている。玄関にぞろぞろと入ってくる近所の人間や、極端な性格で描く保三、良子、勉のキャラクター。

そして、隙間をもうけずに、次々と展開する崩壊の物語。

やがて、保三は執行猶予で釈放されるが、息子が死んだにも関わらず、しゃあしゃあと酒を飲み、留置所での出来事をはなす保三。一方良子は勉のベッドに眠り、勉の日記を読み、保三に勉を返せと詰め寄る。

そして、ある日、良子は首をつり、それを見つけた保三のショットでエンディング。

最後まで浮かび上がらないし、希望も見えない、現実はこういう時代で、我々は、自覚を持って対処すべきだ。それを見過ごしている人々に警告を投げかけてくるようなしつこさが見え隠れしてたまらない。最後の最後まで、逃れようのないいやな映画だった。


マダム・イン・ニューヨーク
久しぶりのインド映画だったが、エッセンスといい、人物のキャラクターづくりといい、非常に丁寧に練り込まれた感動作品でした。難を言えば、おそらくオリジナル版はもっとダンスシーンも歌もあって、長い作品だったのでしょうが、かなりカットされているのが残念でした。ダンスや歌はインド映画の個性なのですから、自信を持ってオリジナル版を公開したらいいと思うのに。

映画は、いつも古風なサリーを身にまとったお手本のようなインド人妻シャシが、苦手な英語で子供たちにからかわれるところから始まる。優しい夫サティシュと暮らす毎日は平凡だが、幸せな日々。しかし、シャシはことあるごとに子供たちにバカにされている気が知るのが気になっていた。

そんな彼女にニューヨークにすむ姉から姪の結婚式の手伝いを依頼され、家族より先に一人でニューヨークへ出かける。そこで、英語でお大恥をかき、四週間で英語ができるようになるという教室へ意を決して飛び込む。

物語は、この教室でのイタリア人男性ローランとの淡い恋、次第に英語に目覚めていくシャシの成長する姿、彼女を応援する姪のエヴァの妹ラーダなどの物語が楽しく絡んで、インド映画ならではの陽気な映像が展開する。

物語も、映像も、どこか音楽のリズムに乗っているような軽快さがあり、その軽いタッチのテンポに、シャシの心の変化、クライマックスの結婚式のスピーチシーンと流れるストーリー展開がとってもさわやか。

ラスト、英語が苦手だと家族が思っているのを後目に、心のこもった英語のスピーチをするシャシのシーンは胸が熱くなってしまいました。

もちろん、インド娯楽映画に芸術性とか面倒なものはなく、ひたすら、明るい展開で終始踊りきる歌いきる楽しさは絶品の一本でした。