くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「嗤う分身」「100歳の華麗なる冒険」「福福荘の福ちゃん

kurawan2014-11-12

「嗤う分身」
ドストエフスキーの小説にこういうものがあるのかと初めて知った。監督はイギリスのリチャード・アイオアディという人である。

宣伝を見たときからシュールな映画だろうと思っていたが、予想通り、シュールな映画だった。

まるで「メトロポリス」にでてきそうな、レトロな近未来の世界というイメージの美術セットを背景に物語が展開する。

映画が始まると、主人公ジェームズ・サイモンが電車に乗っている。目の前に男が立ち「そこは私の席だ」とつぶやき、ジェームズは席を譲る。駅で降りようとしたzジャームズを荷物の積み込み作業がじゃまし、すんでのところで飛び出るが、鞄を挟まれ持っていかれてしまう。

そこに入社IDすべて入っていたので、会社に行っても入れない。ここから不条理の深層世界に物語は進んでいく。

時にレトロな昭和音楽(しかも日本のものも含む)がながれ、密かに思いを寄せるハナを遠目に見ながら、おとなしい彼の姿。続いて、自宅で向かいのアパートを望遠鏡でみていて、自分に似た男が飛び降り自殺をするのを目撃。

一方、会社では、自分とうり二つの男が現れ、仕事も、女の扱いも秀でていて、いつの間にか、自分をそこのけで、会社で自分の代わりのごとく目立っていく。

自分の分身に嫉妬し、何とか自分を取り戻すべく奮闘するサイモン。セピア色に統一された色彩と、不思議な機械が並ぶ会社のセットが、不思議なムードを作り出す。さらに、シンメトリーな構図を多用し、奥の深いカットもふくめ、独特の世界観が生まれていく。

結局、自分の母の葬儀にいってみると、分身が自分の代わりに入れ替わっていて、分身を殴ると、自分の顔がけがをしたので、分身を倒すには自分で死んでしまうことを考える。

そして、ハナに別れを告げ、冒頭の飛び降りた男よろしく飛び降りる。救急車の中で、ハナに見下ろされながら、達成感に浸るサイモン。

部屋では、手錠で身動きとれないままに、死んでいく分身がいる。暗転。

独創性あふれる映像で、不思議な世界を構築するが、テンポ的には、やや平坦なのが気にかかる。とはいえ、この不思議な世界は、ちょっと癖になる一本だった。


「100歳の華麗なる冒険」
大人の、というより、老人のファンタジーアドベンチャーという感じのブラックコメディ。スウェーデンのベストセラー小説の映画化である。あれよあれよと展開する、偶然とユーモアの出来事の繰り返しに、どんどん物語に引き込まれていく楽しい映画だった。スウェーデン映画、監督はフェリックス・ハングレンという人である。

一人の老人、アラン、彼は猫と生活していたが、ある日、猫が狐にやられてしまい、怒った彼は、餌にダイナマイトを仕掛けて狐を吹っ飛ばす。こうして始まる度肝を抜くオープニング。そして、彼は老人ホームへ行くことになり、100歳の誕生パーティの日を迎える。

しかし、彼は老人ホームを抜け出し、なけなしの金でバスに乗ろうとするが、たまたま、トイレにはいるために鞄を預けたやくざの若者の鞄を持ったままバスに乗る。そして始まる彼の冒険物語。

その中で、彼は、少年のころから、爆薬に興味を持ち、やがて、マンハッタン計画に関係するようになり、爆薬の専門家となり、さらには世界を股に掛けるスパイにもなっていったという、華麗な過去を語る。

一方で、手にした鞄に5000万クローネという大金があったために、やくざの組織に追われ、警察からも追われ始める。そんな彼は、行く先々で様々な人と出会い、偶然が偶然を呼んで、彼は次々とピンチを切り抜けていく。

いわゆる大人の童話の世界で、そのサプライズな展開の繰り返しが作品の最大の見所。とにかく、あっ!という繰り返しが笑いになる。それも、殺人なども絡んで、どこかブラックなところもスパイスになって楽しい。

一方の、過去を振り返る場面では、スターリンフランコ将軍、アインシュタインロナルド・レーガン、等々歴史上の人物も目白押しにでてきてこちらも楽しい。

最後は、結局、やくざ組織のボスも、あっという展開で死んでしまい、警察の追求もなくなり、めでたしで、海岸で座るアランの姿でエンディング。

少々、てんこ盛りすぎる前半が、時に退屈になりかねないが、そのハプニングの数々を、楽しみきることができる楽しい映画だった。


「福福荘の福ちゃん」
森三中の大島が丸坊主になって男役を演じたという話題だけの映画だった。陳腐な脚本と陳腐な演出、テレビで見れば十分という間延びした物語に、参った映画だった。

笑わせようとするシーンはあるのだが、それが完全に滑っている。それは演技者のレベルの低さを演出のタイミングでカバーしきれないからである。監督、脚本は藤田容介という人である。

ストーリーというほどのものもなく、癒し系のドラマとして作ったのかもしれないが、何の取り柄もない。

男役になって話題をさらうなら、もっとはじければいい。それを中途半端に遠慮しているから、映画が盛り上がってこないのである。演出する側も、そこに妙な配慮が見え隠れして、結局、無難に仕上げてしまおうという打算が働いた結果の作品に仕上がった。

なにを書くこともない、映画以前の出来映えだった。