「アメリカン交響楽 ラプソディ・イン・ブルー」
ジョージ・ガーシュインの反省を描いた、区rシック映画の名作。
全編、ジョージ・ガーシュインの楽曲がちりばめられ、そのめまぐるしく挿入される曲とその演奏シーンの合間合間に展開する彼の物語は、最後の最後まで観客をスクリーンに釘付けにします。
なんといっても、ピアノ演奏の場面も吹き替えもなにもないリアリティがすごいし、歌の場面も歌手本人がまだまだ現役で出演しているから、圧倒されてしまう。
ピアノを弾く手を写してのオープニングから、ジョージとアエラのガーシュイン兄弟の子供時代に始まり、みるみるその才能を発揮していくジョージの姿をハイテンポで描いて、一気に上り詰めてからの彼の姿が物語の本編になる。
恋人ジュリーへの思いの一方で、ピアノを弾き出したら、周りが見えなくなるほどの天才ぶり、さらに、めまぐるしく演奏と作曲を繰り返す狂気の姿などを、しっかりと見つめるカメラが、時に真上から、時に斜め下から、時に斜に構えて映像にしていく。
二時間を超えるのに、その時間が退屈にならない緊張感がすばらしい一本で、ラストで、ジョージの死、そして屋外で演奏されるラプソディ・イン・ブルーを写すクライマックスは圧巻。名作の貫禄十分な音楽映画の一本でした。
「愛して飲んで歌って」
巨匠アラン・レネ監督の遺作となった作品。アラン・エイクボーンという人の戯曲を映画化したコメディである。
舞台セットのようなカキ割りの背景と、場面転換の間に、美しいイラスト調の絵画を挟んで展開する、まさにアラン・レネらしい演出が光る一本でした。
物語は、医者のコリンが、親友のジュルジュが余命わずかであることを知り、妻のカトリーヌに巧みに誘導されて聞き出されてしまい、決して他言するなといって打ち明けてしまう所から始まる。
しかし、口の軽いカトリーヌは即座に友人のタマラとその夫ジャックに連絡をする。悲嘆にくれるジャック夫婦とコリン夫婦。ここに、ジョルジュの元妻で今はシメオンという農夫の元で暮らしているモニカも加わり、三組の夫婦の物語が始まる。
カトリーヌやタマラ、さらにモニカも含めジョルジュとは、若い頃になにがしかの関係があり、ジョルジュから島への旅行に誘われる。そして三人は競うようにジュルジュの世話をしようとする。
一方、そんな妻に気もそぞろでない三人の夫。タマラやジュルジュは俳優で、舞台の公演も近づいている。次々とシーンが変わるが、美しい色彩で作られたセットが季節によって照明を変化させ、時に、舞台を見ているような錯覚を生みながら、次々と物語が展開していく。
それぞれの夫婦の会話、さらに女同士の会話がとにかく軽妙で楽しい。
そして、最後の最後、それぞれの夫はそれぞれの妻に、ジョルジュと行くことを辞めるように懇願、そしてそれぞれの妻はそれに答えるが、なんと、ジョルジュはタマラとジャックの娘ティリーと島に行く。
程なくしてジュルジュが死に、その葬儀の場面でエンディング。
なんとも、軽妙な喜劇で、映像の魅力と、舞台のおもしろさをあわせ持った演出が秀逸な一本。まだまだ、おもしろい映画が作れたろうにと思うと残念でなりません。
「プリデスティネーション」
ロバート・A・ハインライン原作の短編を映画化したもので、監督はピーター&マイケル・スピエリッグ兄弟。
これが思いの外おもしろかった。原作がいいのかもしれないが、それを脚本にした手腕、混乱させないように演出した演出力にも拍手したい映画でした。
1975年、一人の男が、アタッシュケースとバイオリンのケースを持って歩いている。とある地下で、時限爆弾らしきものを中止すべくさわっているが背後から銃撃され、あわてて、装置をはずし、アタッシュケースに閉じこめた瞬間大爆発し、顔にやけどを負う。
近づいていた男にバイオリンケースを寄越され、ベッドの上で気がつく男。そして、顔を整形し、場面は1970年、とあるバーでバーテンをしている男のシーンへ。そこへやってきたジョンという男。
ジョンは、バーテンダーに自分の数奇な運身を語り始める。
こうして物語は始まる。
ジョンはある孤児院の玄関に捨てられていた赤ん坊で、女の子だったという出だしに始まる身の上話がやたら長いのだが、その長い意味が後半で明らかになるのである。
原作があるので、ストーリーの組立がしっかりしているのは、ロバート・A・ハインラインの力量なのだろうが、ストーリーが始まってから、時間移動と、人物の描写が複雑になっていくにもかかわらず混乱せず、最後の真相にたどり着くあたりは見事である。
爆弾魔を倒すべく時間移動を繰り返すロバートソン率いる組織。その操作官であるバーテンダーの男は、ジョンが女性から男性になって運命を狂わされるに至った行きずりの男に復讐させてやる代わりに、自分の仕事の後を継げという。
そして、ジョンが女であった時に戻るのだが、そこで出会った行きずりの男はジョンその人であり、しかも、ジョンとジェーンの間に産まれた子供を盗んだのはバーテンダーの男で、孤児院に捨てられた赤ん坊は、ジェーンであり、しかも、バーテンダーの男が顔にやけどをする前の人物はジョンであったという、タイムパラドックスの生み出した物語が、最後に語られる。
しかも、爆弾魔の正体もジョンであったという大団円で暗転。まさにハインラインの世界である。
役者の演技力のみならず、おそらくそうだろうと思わせながら、最後まで引きつける演出のうまさが絶品。これは掘り出し物でした。