くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「博士と彼女のセオリー」「ブルックリンの恋人たち」

kurawan2015-03-13

博士と彼女のセオリー
いまさらでもない、難病と闘いながら宇宙理論を展開する天才物理学者スティーヴン・ホーキング博士の半生、そして、彼女を支えた妻ジェーンのラブストーリー。

とにかく、とってもよかった。美しいラブストーリーなのだが、このお話を映像にすることに同意したホーキング博士とジェーンに拍手したい気分です。

監督はジェームス・マーシュ。とにかく、映像が目が覚めるほどに美しい。イギリスの景色、空一面に打ち上がる花火、夜のトンネルを走り抜ける車の光、それぞれが、とても難病の天才物理学者の自伝ドラマといえないほどに光輝いています。

映画は逆光で、車いすの現代のホーキング博士をとらえ、物語は大学時代にさかのぼり、自転車で疾走している彼の姿に移る。

よくある導入部だが、ここからどんどん映画がすばらしくなってくる。後の妻、ジェーンとの出会い、難病ALSの発病へ展開していく。
実話でもあり。主人公であるスティーヴン・ホーキング博士自体まだ存命であるのだから、大きく物語は変えられないのだが、ジェーンが書いた自伝を元に、映像として美しく描ききっていく演出がとってもさわやかなのである。

冒頭の、ペンが落ちて、それを拾おうとするホーキング博士のショットが、ラストで、アメリカでの講演で、聴講者のペンが足下に落ちて、それを拾うために立ち上がる幻影がかぶる場面に重なる。細かい伏線を無駄にしない脚本のうまさも秀逸。

スティーヴンは余命二年と診断されるが、それを覚悟でジェーンが結婚。そして、子供も産まれる。しかし一方で病気はその症状を悪化させていく。それでも、二年という期限はとっくに過ぎていくのだ。

ホーキング博士が発表した理論についての英雄的な描写はほとんどなく、前半で、いろんな些細なことからひらめく場面はあるものの、ストーリーのほとんどは、ジェーンとの仲むつまじい生活とその周辺にさりげなく起こる、ジョナサンとジェーンの淡い恋、さらに終盤で介護士のエレノアとスティーヴンの淡い関係などが描かれ、決して美談のみで終始しない正直さが実に心地酔い。

アメリカでの講演に誘われたスティーヴンがジェーンに、夫婦としての感謝の気持ちを伝え、別れに近い言葉を投げ、ジェーンが、ずっと愛していましたと答える姿には涙があふれてしまいました。

そして、アメリカでの講演、その後、ジェーンとジョナサンの元に届く、イギリス女王からの招待、そして「僕たちが生み出したすばらしいもの」といってスティーヴンとジェーンが見つめる三人の子供たちの姿。

映画は、どんどん時間を巻き戻し、冒頭のスティーヴンの大学時代、ジェーンとの出会いまで戻る。

そしてオープニングの車いすの逆光の映像でエンディング。いつの間にかこの二人のすばらしい半生に胸がたまらなく暑くなっていました。生きていれば、きっと何か希望がある。ホーキング博士の講演での言葉が、しっかりと胸に突き刺さります。すばらしい一本でした。


「ブルックリンの恋人」
アン・ハサウェイが製作をつとめたラブストーリーであるが、何とも、平凡な作品だった。ポイントがはっきりしないし、わかりにくいところはそのままに、ラストシーンを迎える。まぁ、アン・ハサウェイ見に行ったのだからそれでいいのだが、今回、ショートカットになった彼女はやっぱりすてきだった。

映画は、モンゴルだろうか、主人公フラニーが取材しているシーンに始まる。カットが変わると地下道でギターを弾く青年ヘンリー。そして夜の町にでたヘンリーが車の急ブレーキとともに暗転、タイトル。

ヘンリーはフラニーの弟で、交通事故で昏睡状態になったという知らせが届き、フラニーが帰国。こうしてお話は始まる。

ヘンリーが好きだったらしいジェームズ・フォレスターのコンサートに出かけたフラニーは、そこでジェームズに話しかけ、病室にやってきたジェームズとやがて親しくなる。

このジェームズとフラニーのラブストーリーのごとくだが、フラニーはヘンリーに執拗に看病し、どうやら母親とも確執があるようなカットもある。

淡々と、これという工夫もない展開と映像が続き、最後はヘンリーが目覚め、家族の中に入りづらくなったか、ジェームズは離れていく。

ラニーがジェームズの最後のコンサートに行くがチケットがとれず、ジェームズの車にお礼の手紙を残してエンディング。

で、なんなの?という映画なのである。何度も流れるジェームズの曲に意味をつなぐなら、それはちょっとくどい気がするし、妙に暗いフラニーたち親子の話もさらりと描ききらない。何とも、つかみ所のない映画だった。