くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「靴職人と魔法のミシン」「追憶と、踊りながら」「奇跡の人

kurawan2015-06-10

「靴職人と魔法のミシン」
おとぎ話のようなファンタジー、ほのぼのした色合いが素敵な一本だったのですが。もう少し、ストーリーにアップテンポがあればもっと楽しかったかもしれません。監督はトム・マッカーシーです。

映画は20世紀はじめ、ニューヨークに始まります。薄暗い部屋でユダヤ人らしい老人たちが話をしている。どうやら彼らは職人らしく、一足の靴が持ち込まれ、一人の青年がその靴の修理を請け負う。

そして時は現代へ。この町で四代続く靴屋のマックス、母と二人暮らしのかれは、この地域が再開発されるので、反対運動に協力してほしいという女性からチラシをもらう。

そこへ、一人の黒人がやってきて、金があることを見せびらかせながら、一足の靴の修理を依頼して帰る。

修理を始めたとたんにミシンが壊れ、しかたなく地下にある手動の古しミシンで靴を直す。ところが完成した靴をなかなか取りに来ない。高級な靴だといっていたし、サイズも自分にぴったりだったので、履いてみた。ところが、履いたとたん、マックスはあの黒人の姿に。なんと、あのミシンで靴を修理すると、その靴の持ち主に変身できることを知る。

こうして、マックスが、そのミシンで様々な人の靴を修理し、いろんな人に変身して楽しみ始めるのだが、あの黒人はレオンというその地域のボス的なごろつきであることがわかる。

一方、年老いた母のために、でていった父になりすまし、一夜のパーティなども実行するが、その次の朝、母は死んでしまう。

さらにレオンの情け容赦ない彼の存在になりすまし、金を稼ごうと考えるが、とたんに、その危険すぎる立場にすぐに及び腰になる。

このあたりの展開が微妙に力強さがなく、リズム感に欠けるのが本当に残念。導入部で登場する様々な客に変身する下りももっとおもしろくなりそうなのに、母親の死のエピソードが微妙に無駄に見えてしまうのである。

たまたま、レオンが関わっていた仕事が、マックスたちの地域の再開発にかかわる地上げ仕事と知り、靴の能力を生かして、反対運動の女性と協力して、不動産業者を逮捕させ、ハッピーエンドに締めくくる。

一段落ついてみると、隣で床屋を営む友人が実は、家を出た父親で、ミシンの秘密を代々受け継いできたのだという。床屋の地下の膨大な靴のコレクション、さらに豪勢な外車で颯爽と二人は家に帰る。

ストーリーを思い返すと、ちょっとしたファンタジーで、ほのぼのした感じなのだが、何か物足りなさを少し感じたのは私だけでしょうか。決してつまらない映画ではなかっただけに、ちょっと心残りの映画でした。


「追憶と、踊りながら」
とっても詩的なストーリー構成に、どんどん物語に引き込まれていく素敵な一本、なかなかの秀作でした。若干眠くなったのは、体調と、テーマが地味なためかもしれませんが、考えてみると、母と息子の強すぎる愛情の物語だったかと考えると、ますます胸が熱くなってしまいました。ホン・カウ監督のデビュー作です。

映画は李香蘭の夜来香が流れる中、壁をカメラが張っていってタイトル。

カイが、老人施設にいる母ジュンを訪ねているシーンに始まる。カイはゲイで、恋人はリチャードいいますが、母には友達として紹介している。

ある日、カイが事故で死んでしまい、リチャードがカイの母ジュンのためにと、ホームを訪れ、ホームでのジュンの恋人的な友達アランと会話できるように、ヴァンという通訳を雇います。

ジュンはリチャードのことが好きではない。それをカイもわかっていて、なかなかジュンに心を打ち明けられない。

物語は、カイが生きていた頃、リチャードがジュンに尽くす流れ、ヴァンを介して会話するアランとジュンの物語などを交錯させながら描き、時折、カイがジュンのそばにいてはなしたりするが次のカットでカイは画面にいないなど、シュールな演出を繰り返す。

そのカットつなぎがとっても詩的で美しいので、ストーリーが流れるように展開する。このリズム感が抜群で、この監督の感性の豊かさを感じさせてくれます。

最後の最後、リチャードはジュンに、ゲイで、カイと恋人関係だったと打ち明けますが、ジュンは、母である自分のカイに対する気持ちを素直に語ります。あなたが親になればわかりますという言葉を刻みながら。この終盤の処理もとっても素敵で、アランとジュン、カイとリチャード、リチャードとヴァンがダンスをしながら画面を横断していくシーンは素晴らしい。

かなりクオリティも高い一本の秀作をみたという感zです。本来ゲイの映画は嫌いなのですがこの作品はそんなkんおかんなどみじんも感じませんでした。よかった。


「奇跡の人 マリーとマルグリット」
映画としては普通である。いわゆる難病ものと呼ばれるジャンルで、題名が示すとおり、視覚、聴覚に障害があり、結果として聾唖者である三重苦の少女マリーを、マルグリットという修道女が立ち直らせる物語だ。ただ、ヘレン・ケラーが生まれて後に病気によって障害者となったのとは違って、マリーは生まれながらの障害者であることだ。

物語は19世紀フランスでの実話である。一人の少女マリーが馬車に乗せられ、ある修道院へつれてこられるところから映画が始まる。この修道院は聾唖者を預かっているが、目も見えないマリーを預かることは無理があるといったん断る。しかし、ここにいるマルグリットという修道女が、運命を感じ、マリーを教育することになる。しかし、マルグリットには肺の病気があり、無理をすればその寿命が縮むのだ。

こうして、マリーとマルグリットの悪戦苦闘が始まり、成果が出ない中、八ヶ月がたつ。そして、マリーが気に入っているナイフを認識したところから言葉の存在を知り、見る見る更正していくのだが、一方マルグリットの寿命が迫っていた。

ラストは、マリーが、亡くなったマルグリットの墓の前で、空を仰ぐシーンとなる。

丁寧な演出でまじめに作られた作品で、素直に感動すればいい映画である。だから、これでいい。胸を打つ素直な映画だった。