くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「ゴッド・ヘルプ・ザ・ガール」「奇跡の2000マイル」「彼は

kurawan2015-08-17

「ゴッド・ヘルプ・ザ・ガール」
とっても切ないポップミュージカル。特に派手さはないけれど、イングランドの映画らしい、透明感のある雰囲気がとってもいい。監督はスチュアート・マードックというバンドマンのフロントマンである。

16ミリフィルムを挿入したりしてイギリスの独特の緑の風景や、少し、ノスタルジックな色彩がとっても綺麗な画面になっています。

音楽も、アメリカやヨーロッパ本土のものとはちょっと空気の違うムードが、ハイテンポな中に上品さを醸し出していきます。

物語は、スコットランドグラスゴーで入院中の主人公イヴが病院を抜け出して、ライブを聴きに行く場面から始まる。病院では作曲もする彼女は、担当の医師から、音楽大学に行くことを勧められている。

ライブ会場でギターを弾いて歌う青年ジェームズと知り合い、さらに彼を通じてキャシーと出会う。

こうして音楽を通じて、三人は、友人であり、どこか危うい関係に近付きそうな関係を保ちながら、バンドを結成する。

イヴは自分の曲をテープにして、アントンという有名バンドのメンバーに託し体の関係を続けるが、アントンにその気がないことを知り、どん底に落ち、街で出会った女性とドラッグを飲み、自殺未遂を図る。

そんな彼女に寄り添うジェームズ。しかし、イヴは医師の勧め通り、ロンドンの大学に行くことを決心、ジェームズは初めてイヴにキスをする。そして、駅で旅立つ彼女を見送る。駆けつけるキャシーと自転車で去りエンディング。

曲もテンポがいいし、ダンスホールで歌う場面は圧巻で楽しい。ただ、曲とドラマのバランスがちょっと弱いのが残念で、画面の美しさもあって、ほんの一歩手前で、秀作になりきらなかった気がします。でも良かった。


「奇跡の2000マイル」
平凡な冒険映画かと思って見に行ったのですが、これがなかなかの人間ドラマ、人生ドラマでした。何と言っても、嫌味のない素朴なオーストラリアの大地の景色が実に美しい。監督はジョン・カランである。

1977年、実際にオーストラリアの大地を四頭のラクダと一匹の愛犬で一人旅した女性ロビンの実話の映画化である。

幼い頃、母の死とともに、おばさんの家に行くことになる少女のロビンの姿から映画が始まる。一緒に遊んだ愛犬も安楽死させることになり、その悲劇から、大人になって、一匹の犬を大切に可愛がっている。

人生に変化を求め、オーストラリアのアリス・スプリングスにやってきたのは1975年。ラクダを手に入れるためと、資金を稼ぐため仕事につき、2年後に旅に出る。

雇い主の横暴シーンなど、軽く流す構成で、本編へ進む。旅立ちまでが長いように思ったが、全体の構成のバランスが良くて、旅のシーンがちょうど良い尺で構成されている。

原住民アボリジニとの交流、出資者のナショナルジオグラフィックから来たカメラマンリックとの関係、愛犬の死、ラクダとのエピソードなどの配分が実に的確なので、飽きることがない。

しかも、自然の景色を、その厳しさと美しさをうまくとらえたカメラも美しく、物語を彩ってくれる。

物語としては、無事踏破して、リックと抱き合ってのエンディングなのだが、ありきたりの紀行映画にもなってないし、主演のミア・ワシコウスカの演技もなかなか素朴ながら、しっかりしている。

丁寧な演出と、手慣れた技術が光る一本で、なかなか見ごたえがありました。


彼は秘密の女ともだち
まずアイデアが出て、脚本が書き進んだという感じで、前半がとってもいいのですが、後半からラストの落としが、ちょっと、フランソワ・オゾンにしては、平凡だった気がしました。

映画は、一人の女性ローラが棺に納められている。ウェディングドレスをまとったその女性の姿がカメラいっぱいに写って物語が始まる。このオープニングは素晴らしいです。

なくなった女性はローラ、彼女と幼馴染みで大の仲良しのクレールとの日々がフラッシュバックのように描かれ、現代に落ち着く。

ローラと夫のダヴィッドとの間にはリュシュという子供がいる。生前、子供とダヴィッドをお願いするというローラの言葉で、クレールはローラの家にやってくる。ところがそこに、女装して赤ん坊をあやすダヴィッドがいた。

こうして本編が幕を開ける。

ローラの扮装をしたら赤ん坊が泣き止むので始めた女装だが、癖になったらしいというダヴィッドだが、クレールはなき妻ローラへの思いだと考える。一方クレールも、最愛の友人を女装したダヴィッドに求めるのだ。

こうして、クレールは度々ダヴィッドと会うようになる。女装している時のダヴィッドはヴィルジニアという名前にする。

どこか、不思議な物悲しさに包まれて、ストーリーは進行するが、クレールの夫ジルが入ってくる後半部分から、妙に物語の軸がずれてしまい、クレールとダヴィッドの不倫色が臭い始めると、いつものフランソワ・オゾンの洒落っ気が曇ってくる。

結局、ヴィルジニアとクレールがベッドインしたものの、やはり男と気がついたクレールは、ベッドを飛び出し、ショックを受けたヴィルジニアは、傷心のまま路上に出て車にひかれ昏睡状態になる。

ローラの両親にもジルにも女装がばれたダヴィッドを必死で看病し、ある日、クレールはダヴィッドを女装させ、かつて二人で行ったゲイバーで歌われていた歌を歌うと、昏睡状態から目覚める。

7年後、リュシュを学校に迎えに行くヴィルジニアとクレールのシーンでエンディング。

後半の処理が、いつものように粋な感じだと、いい映画になったのだが、ちょっと残念。でも、やはりフランソワ・オゾン、音楽センス、映像センスは並外れたものがあり、前半で、ダヴィッドが初めて女装してショッピングに出かける時のテンポいい曲の挿入や、ラストのリュシュとヴィルジニアとクレールが画面奥に歩いて行く時のファンタジックな画面作りなどは絶品ですね。

やはり、映画のクオリティは一級品だと思います。良かったです。