くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「愛の小さな歴史」「ローリング」「パパが遺した物語」

kurawan2015-10-09

「愛の小さな歴史」
友達に勧められて見に出かけたのですが、この映画、ちょっと良かった。終盤に差し掛かるに連れて、どんどん引き込まれて、感情的にのめりこんでしまいました。監督は中川龍太郎です。

映画が始まると一人の少女のアップ。親友が亡くなったというセリフ。かぶって、一人の女性のカットが挿入される。そして物語は、この映画の主人公で冒頭の少女の母夏希の物語へと進む。

宅配弁当の会社で配達をする夏希、10歳の時に父親でDVだった男が逃げ、母は死んで苦労の末現代に至っている。配達の先で一人のピアノを弾く青年と知り合って密かな恋心なども抱くが、ある日、一人の若者が訪ねてきて、出て行った父親がいる場所を教えてもらい、訪ねて行く。飲んだくれで、今はかつての見る影もない父親を見て、悪態を吐く夏希。

ここに、もう一人、サラ金の取立てをする男夏生がいる。妹が薬漬けであるのを知り、必死で更生させようとする。とりたてた客が自殺などすると、土下座して謝ったりする非常に心の優しい男なのだ。

映画は、この二組の人物を交互に描きながら、時に交錯させるシーンなどもはさんで展開する。

やがて、兄のひたむきさに、まっとうになろうとする夏生の妹。一方、夏希の父も、かつて行ってきたことに心から悔いるようになっていく。

終盤に、カメラを向けられた夏生の妹と夏希の父が微笑むシーンがたまらなく切ない。

そして、妹も父も死んでしまうのだ。泣き崩れる夏希と夏生は、自殺しようと団地のベランダに立つが、見下ろすと妹と父が見上げてくれている。思わず、駆け下り、夏希は夏生はと出会う。これが冒頭の少女の両親の姿だった。

現代に戻り、冒頭の少女も、一人の若者と出会い、川を挟んで自己紹介する。エンディング。

細かいカットが、実に見事に映像になっているし、クライマックスに流れるラフマニノフピアノ曲が、絶妙にストーリーに絡んでいる脚本も見事。しんみりと人と人の心の温かさがしみてくる一本でした。ちょっといい映画でした。


「ローリング」
もう少し、見応えのある映画かと思っていましたが、案外な普通の作品でした。監督は冨永昌敬です。
映画は、生徒の更衣室を盗撮したために追い出された教師権藤の一人セリフから始まる。東京からキャバクラ嬢のみはりを連れて水戸に戻ってきた権藤は、教え子の貫一と再会、しかも、この教え子にみはりを取られてしまう。

地元の教え子たちから追いかけ回される権藤は、今や教師の威厳もなく、ただのふてくされたおっさんに成り下がっている。そんな権藤を適当にあしらいながら、貫一を始め教え子たちが絡むのが物語の本編。

しかも盗撮した映像の中に、今や芸能活動で活躍する教え子がいて、話は、泥々と面倒な展開になっていく。

とにかく、お世辞にも尊敬に値しない教師の権藤と、妙に生真面目な貫一の構図に、周りの教え子たちの出来の悪さとみはりの適当さが絡み合う展開は、ある意味面倒な映画であると思える。

時折権藤の一人セリフが絡み、自分は結局鳥の巣に成り下がる結末まで、リアリティより、哀れさが漂う一本で、一番好みのタイプからかけ離れた映画だった。三浦貴大も、今ひとつ作品を盛り上げてこないし、全体がとにかく哀れの塊なのです。駄作とまではいかないけれど、大したことはなかったかなという感想でした。


「パパが遺した物語」
作品のクオリティは高いのですが、何かが大きく抜けている感じがする。もちろん、省略も作品作りの一つなのですが、省くべきでない何かが抜けている気がするのです。監督はガブリエレ・ムッチーノです。

映画は1986年、有名な作家の父ジェイクと愛する娘ケイティが戯れ、母が絡んで三人でドライブへ。ところが、夫婦がふとした言い合いから、ジェイクが運転を誤り事故を起こす。妻は死に、自身も重傷を負う。そして、退院したものの、後遺症が残る。しかし、愛する娘ケイティとの生活が始まるが、時に発作が起こるので、ケイティを叔母の家に預けて、入院する。そして七ヶ月後、退院してきたジェイクに、叔母夫婦はケイティを養子に欲しいと迫る。

自分たちの子供もいるのに、なぜここまで固執するのかが全く説明されない。確かに、ジェイクの妻で妹だった女性を事故で殺されたという恨みなのかもしれないが、そこまでするのかと思うのです。

そして画面は25年後、ケイティは心理学を学びソーシャルワーカーとして一人の少女を担当している。このエピソードが必要だったのかよくわからない。

さらに、ケイティはSEX依存症のごとく、寂しくなると男とSEXするのである。

こうして、1986年と25年後を交互に交錯させながら、物語が展開していく。大人のケイティの傍に父が最後に書いた「父と娘」という本がある。どうやら、父は亡くなっているようである。

大人のケイティの前に、ジェイクの本のファンだというキャメロンが現れ、ケイティと急速に接近、この二人のラブストーリーが展開する。

なぜ、ケイティが、父が死んで25年近くなのに、SEX依存のような精神になっているのか、ここは少し説明が欲しい気がする。それに、過去と現代の物語のバランスがほぼ同じなので、どちらを中心にするか、ウェイトが見えない。ラッセル・クロウの存在感が強すぎて、キャメロンが霞んでしまい、現代のエピソードが弱いのである。

もちろん、必要以上の説明は不要なのですが、ポイントであっても、わずかでも描写の説明は必要だった気がします。

ラストは、トラウマを克服したケイティがキャメロンと抱きあんてエンディング。ジェイクは最後の本を書いた後、発作の時に倒れて頭をうち死んでしまう。そして最後の本はピューリツァー賞を受賞する。

カメラワークも美しいし、画面も綺麗に絵作りがされている。しかし、脚本がちょっと未完成な気がする。というか、エピソードを盛り込みすぎたようにも思える。もう少し、全体のストーリーを整理して、メリハリをつければいい映画になった気がするのですが、ちょっと残念です。でも、ケイティの幼い頃を演じた、カイリー・ロジャーズはとっても可愛いし、もちろんアマンダ・セイフライドも素敵。それだけでも一見の価値はあったと思えます。