くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「エベレスト3D」「起終着駅 ターミナル」「グラスホッパー

kurawan2015-11-13

「エベレスト3D」
1996年に起こったエベレスト登山での実話を3D映像を駆使して描いた作品。要するに登頂から下山まで、人間ドラマというより、史実を描くという展開で描いた作品。監督はパルタザ・ルコルマウタルである。

物語は、エベレスト登山の歴史を語った後、1996年に、20もの団体が登頂を企画し、ほぼ混雑状態での状況について説明して、物語が幕をあける。

少しずつキャンプを登っていき、最後の登頂のシーンをクライマックスに、不測の、いや無理をしたために起こった事故の顛末を語り映画が終わる。特に、ストーリーや映像に工夫をしているわけではなく、エベレストの過酷な自然の姿を中心にドキュメンタリー的な映像が流れる。

それぞれの人物の人間ドラマについてはほとんど触れることがないので、悲劇の結果になった人々についても、それほど胸に迫る感動はない。その意味で商業映画とはいえ、ちょっと色合いが違うといえなくもないが、最後まで画面に食いいる結果になったのは、カメラワークのうまさゆえだろう。まぁ、悪く言えば凡作だが、損をしたともうことはない一本だった。


「起終着駅 ターミナル」
思いの外良質の日本映画の佳作。こういう静かな良品を作ることができるのはyはり、篠原哲雄監督だなと納得してしまいます。

主人公鷲田完治が雪深い駅のホームで佇んでいる横顔から映画が始まる。そして時が遡る。旭川で判事だった彼は、ある日の公判で学生時代の恋人冴子と再会。東京に妻子がいる完治だが、冴子と暮らす決心をするのだが、冴子は完治の目の前で駅のホーム絡みを躍らせ自殺する。

それから25年、かつての罪を償うために釧路で国選弁護人として一人暮らす彼の姿に物語は変わる。公判で、覚せい剤所持で捕まった一人の女性椎名敦子と出会う。判決の後、ある日敦子は完治の家を訪ねてきて、彼女の恋人を探して欲しいという。こうして物語の本編が始まる。執拗に、自分の会社の顧問を頼みに来る中村獅童扮する大下の存在、隣人のぼけた老人のエピソードなど、軽いエピソードが散りばめられる。

敦子は、完治の作る料理を褒め、頻繁に訪ねてくるようになる。もちろん、敦子は完治に惹かれているわけでも、完治が敦子に惹かれているわけでもない。このプラトニックな展開が、この作品を大人のドラマにしている。

そして、ある日、敦子は、実家に行って見たいから連れて行ってくれと言われ、かんじとでかけるが、そこで、行方不明の敦子の男が倒れているのと出会う。彼を警察に引き渡すのだが、一方で、完治の息子が成人になっていて、間もなく結婚だという情報が入る。

敦子は、かつての男の取り調べの後、完治に北海道を出ることを告げに来る、完治に駅まで送ってもらうが、完治は彼女に敦子が好んでいた料理のレシピを渡す。抱きついてきた敦子は完治にまた戻ってもいいかというが、もう戻るなと突き放すかんじ。

そして、完治は息子の結婚式に出る決心をし、大下の車に乗って釧路の駅に向かい、列車に乗って、エンディング。

傍に散りばめられたキャラクターが、深く描いていない者の、非常に味があって、物語に独特のリズムを生み出すし、敦子を演じた本田翼の淡々としたキャラクターもまた素敵。佐藤浩一もいい演技を見せている。

総合的に、非常にバランスの良いかんせいどのえいがで、良質の日本映画というかんじの一本でした。平坦な物語なのに、全く退屈しないで最後まで引き込まれたのが良品の一本の証拠かもしれない。いい映画でした。


グラスホッパー
伊坂幸太郎の不条理ワールドが満載の、楽しめる巻き込まれエンターテインメント。これは、好きでないと、面白いと思えない映画だろうと思う。少々ちぐはぐで、芯がぶれてしまっているが、できの悪いのを、原作の特異さでカバーしたという感じだった。監督は瀧本智行である。

物語は、ハロウィンの夜、渋谷に始まる。群衆とバッタの大群、そして不気味な若者がクルマに乗っている。いかにも悪者のドンという感じの男からの指令、狂った男が車をスタート。遡って一人の女性が交差点にいる。仮装した子供が話しかける。

車が走り出し、女性が轢かれるファーストシーン。彼女は主人公鈴木のフィアンセ。そして時が経つ。フィアンセが死んだ交差点に佇む鈴木。一枚の紙切れ、「悪いのは寺原親子だ」こうして本編が始まる。

寺原の経営する怪しいダイエット会社に就職した鈴木は、キャッチの時に、教え子と出くわし、彼女を連れ帰り、彼女は眠らされ、その女を寺原の息子に与えるために交差点に行くと、押し屋と呼ばれる殺し屋に、息子は殺され、一方寺原は、蝉というナイフを使う殺し屋と、自殺屋という鯨と呼ばれる殺し屋を雇っていて、蝉に鯨を殺させようとするくだりが絡む。鈴木が寺原の会社にまんまと潜り込むという下りが実に雑い。

鈴木は押し屋をつけていくと、いかにも普通の家族の元に押し屋は帰って行き、その家族と知り合った鈴木は、自分の仇をとってくれた押し屋に、寺原の危険を知らせる。

鯨は蝉を返り討ちにすべき迫ってくる話が絡み、鈴木が捕まったので、寺原の親が屋敷を出たところ、何やら組織が後を追う。そして、クライマックス。鈴木が捕まっている場所に蝉と鯨がやってきて戦い、鈴木の教え子は実は殺し屋で、寺原はあっけなくやられる。

そして鈴木は無事逃げるが、事の真相は、フィアンセに助けられた子供が、鈴木の仇を討つべく、そして寺原の敵方の組織もあって、そのアングラな組織が寺原を殺したというのが真相と鈴木が知ることになりエンディング。。

おそらく原作は、うまく絡ませて展開するのだろうが、どうも映画になると、どこかちぐはぐにバラバラになってしまった感じがする。まるで、離れ小島のそれぞれの話がバラバラに進んだという感じである。もちろん、フィアンセに助けられた子供という繋がりは最後に説明されるが、それが何気なく予想がつくのが、演出の弱さかもしれない。

最後の種明かしで、それまでのバラバラ感を納得せざるをえないというエンディングは、良くない。すべてのもつれがほぐれていくという演出はよく取られるが、この作品はそれを狙ったはずが、言葉の説明で終わった。でもまぁ、伊坂幸太郎の作品と思っているから、これはこれでありかもしれない。