くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「さようなら」「カミーユ、恋はふたたび」「ピロスマニ」

kurawan2015-12-14

「さようなら」
平田オリザ原作の傑作戯曲の映画化である。
放射能に侵された近未来の日本を舞台に、日本を捨て、他国へ避難する計画が進む中の、一人の少女ターニャとアンドロイドのレオナの物語が展開する。典型的な舞台劇で、淡々と進む静かな物語は、よほど映像にリズムを作らないとしんどい。という予感がそのまま当たった感じの作品でした。監督は深田晃司

原発が爆発し、日本が国を捨てる決心をしたという内容の映像とナレーションから映画が始まる。そして5ヶ月後、ターニャという少女と傍に車椅子に乗っているアンドロイドレオナ。周辺の人々は次々と非難していくが、アフリカからの難民のターニャの順番はかなり低いため、半ば諦めている。周囲の景色がどことなく不気味な空気で、汚染が忍び寄っている感じが漂う。

レオナと日々暮らすターニャに悲壮感などないが、それが露骨に描かれないために、見ているこちらが自然と悲しくなってくる。

やがて、郵便物も終わり、最後の手紙は、避難センターからだとレオナはターニャに告げるもターニャは開けようとしない。病弱なターニャは、やがてソファに横たえ、それをじっと見つめるレオナ。時が流れていき、ターニャは息絶え、少しずつ朽ちていく。骸骨になったターニャに触れたレオナは、一人外に出て、何かを求めて進む。

どれほどの時がたったのか、レオナの姿も汚れ、生き物が生まれてきたかの映像も挿入。レオナはとある林の中に飛び込み、這うように進むとそこに、何十年かに一度咲くと言われる竹の花が赤く咲いていた。かつてターニャが見たいと言っていた花だ。それを見つめるレオナのカットで暗転エンディング。

原発をそのきっかけにする必要があるのかという疑問はある。こういうきっかけは海外受けすると言えなくもない。ここまで考える必要があるかどうかはわからないものの、映画としては、スモークを焚いたような映像を貫き、時に斜めに歪めた映像加工などを施し、工夫は見られるが、それ以上にはなっていない。舞台劇なら傑作でも、映画としては、仕上がらなかった感じがします。


カミーユ、恋はふたたび」
とってもおしゃれでキュートな映画になるはずなのに、どこかちぐはぐに断片的に感じるのはなぜだろう。いわゆるタイムトラベルもので、主人公が過去に戻る話であるが、ストーリーに一貫性がないのである。つまりどれもこれも描こうとしたために、話が分散してしまった感じ。未来の夫との出会い、両親の死、それぞれに配分が同じになったため、どちらを中心に見たらいいのかわからなくなった。監督はノエミ・ルヴォウスキーである。

主人公カミーユは25年連れ添った夫と離婚の危機に瀕している。夫は若い恋人を見つけて出て行こうというのだ。散々わめいた末に、友達のパーティに出かけ、大はしゃぎの末に、気を失ってしまう。そして目がさめると、そこには死んだはずの両親がいて、自分は16歳になっていた。
こうしたオープニングからタイトル。この編集がとってもおしゃれなのだが、悪く言うとB級映画的に見えてしまう。

そして、16歳になったカミーユは、学校に出かけ、かつての友達と遊び、そして将来の夫と出会う。一方で、両親の死を間近に知る彼女は、母に精密検査を受けさせたりする。そして、物理学の教授に、両親の声を託したりするエピソードも挿入。つまり、色々なエピソードを断片的に入れ込みすぎたのである。

冒頭の導入部からすれば、未来で離婚することになる夫との物語をタイムトラベルの中心に持って行き、ラストでほんのり終わらせていれば、とってもいい映画になったと思えるのです。

結局、16歳の彼女は、妊娠し、未来の夫となる男とうまくいって、もう一度酒を飲んで気を失い現代に戻る。両親の声を預けた教授を訪ね、夫と会い、16歳の時の写真を見つけたという夫に、あなたが撮ったものよと答えるが、それは、過去にタイムスリップした時のカミーユの姿の写真。

雪道を向こうに歩いていくカミーユのシーンでエンディングだが、どうも、どれか一つの盛り上がりが見えないのが本当に残念な一本でした。


「放浪の画家ピロスマニ」
学生時代に「ピロスマニ」の題名で見た作品のデジタルリマスター版である。しかも、過去ではロシア語吹き替えだったが、今回はオリジナルグルジア語である。

とにかく美しい映画でした。どのシーンもピロスマニの絵画の一部のように美しい構図が徹底され、しかも色彩も抑えられたカラーが実に素朴で綺麗なのです。監督はギオルギ・シェンゲラヤです。

映画は、とあるカフェに二人の画家がやってくる。壁に何気なくかかっている絵画に目を留め、その絵の画家を探そうとする。

時間が遡りながら元の場面に戻るを繰り返し、一時はもてはやされながらも、新聞に酷評されて、町の人々の態度が一変、その状況に、人間不信にさえなるピロスマニの姿。繰り返される彼の姿は、みるみる年老いていく。

やがて、復活祭にどうしても絵をかけと強要される下り、仕上げた絵を残して部屋を出る彼の姿から、物置のような部屋で死を待っている彼を復活祭に連れ出すシーンでエンディング。

不遇の画家ピロスマにの半生を描いた作品ですが、時間を前後させる演出と、美しい画面作りが名作の名を与えてしかるべき一本に仕上げられていました。確かに、印象に残るほどの好みの作品ではありませんが、いい映画です。デジタルリマスター版にすべき一本だったと思います。