くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「LOVE 3D」「蜜のあわれ」

kurawan2016-04-01

「LOVE 3D」
何で3Dなの?という感じの映画です。もちろん、いかにも3Dを意識したこちらに向かうイチモツなどのカットはあるし、画面の構図が一点通しだし、延々とカメラが人物を追いかけ、一瞬の暗転で背後の景色や場面が変わるという演出がなされている。しかし、赤や黄色などの美しい色彩演出もなされているのに、3Dメガネが暗くて、その映像美が感じ得ないのが残念でした。監督はギャスパー・ノエです。

映画は、全裸でSEXしているマーフィーとオミを真上から捉えるシーンで始まる。2歳の子供と暮らす二人の生活から幕をあけるこの映画は、ことあるごとに真上からのカットは、真正面からの二人、一点通しのシンメトリーな構図が映像として繰り返される。

マーフィーのところにかつての恋人エレクトラが行方不明になったが知らないかという電話がエレクトラの母から入る。物語は2年前、恋人エレクトラとのめくるめく愛の物語と、オミの妊娠で破局になる様、ドラッグにおぼれるマーフィーとエレクトラの物語が展開していく。

題名の通り、ひたすらSEXシーンというわけではなく、一瞬の暗転で背景や服装、時間がジャンプする長回しの演出を多用し、極彩色の色彩を画面に散りばめて、幻想的なくらいの濃厚な愛の物語として語って行く。時折、ちょっとグロいほどの3D映像が見られるものの、全体は、幻想的なほどの映像美の世界なのである。

ただ、めくるめく過去と現代の交錯する物語、一人称的なマーフィーのセリフ、繰り返されるSEXシーンはさすがに、単調に思えてくるところもしばしばあり、3Dメガネの負担もあって、かなりしんどい。

結局、エレクトラは行方不明で、死んでしまったかの描写が施されて、風呂場で子供と泣き崩れるマーフィーのシーンでエンディングとなる。

こうして思い返してみると、なかなかの作品だった気がするのですが、メガネの負担がマイナスになってしまった感じ、そんな映画でした。


蜜のあわれ
オープニングの映像から、明らかに「ツィゴイネルワイゼン」を意識しているのは自明の理でした。しかし、やはり才能の違いでしょうか、今一歩ビシッと決まる画面がないために、面白い題材なのに、全体がぼやけてしまいます。二階堂ふみならできるだろうにという怪しい色気が完全に吹き消されてしまっているのがもったいない。監督は石井岳龍です。

真っ赤な衣装に身を包んだ二階堂ふみ扮する赤子がソファに座っているカットから始まる。こちらには小説家の老作家がスケッチをしている。すぐにこの女の子が金魚であることがわかる。老作家を翻弄するようにコロコロと言葉を浴びせかけ、作家との掛け合いの物語が展開する。

怪しい男女関係のようでもあり、親子関係のようでもある。金魚屋で買った金魚が人間の姿で男と喋っているというファンタジーである。金魚屋の存在も、ちょっと童話のような設定が面白い。

老作家の公演に出かけた赤子の前に、白い着物を着た一人の女性が現れる。名前はゆり子、老作家の昔の女である。こうして、時に金魚、時に人間のとなる赤子と作家、ゆり子の話がメインになるが、これという筋のある物語はない。しかし、夜になれば女として老作家と眠ったり、ちょっとエロティックな仕草を見せたりする赤子の存在にゆり子たちが振り回される感が面白い。

老作家は時々、古い映画館の路地奥で一人の女にあっているエピソードも入る。このエピソードもうまく処理するととっても効果的なのに、画面のセンスがないので、普通のシーンになっているのです。

終盤、赤子は子供が欲しいと言い、金魚屋に相手の金魚を世話してもらい妊娠する。一方、ゆり子は老作家の元を去っていく。老作家は余命いくばくもない病にかかっている。

ちょっとした言い争いで赤子は家を飛び出す。しばらくして金魚屋が赤子の亡骸を老作家の元に届ける。野良猫に攫われたのか、子供達に蹴られて遊ばれていたらしい。老作家は赤子を金魚鉢に戻し弔う。

老作家は入院することになり、縁側で迎えを待っているが、立ち上がろうとして倒れ死んでしまう。あの世から赤子が老作家を迎えてエンディングになる。最後に「人を好きになるのは楽しいことだ」とつぶやく。

怪しい展開と妖艶な色合いはまさに「ツィゴイネルワイゼン」の世界なのだが、舞台となる家や庭、町並みなどが、今ひとつキラリと光る色彩や映像が見られない。そこが根本的に作品の格を下げている感じで、残念といえば残念な作品だった。