くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「孤独のススメ」「太陽」

kurawan2016-04-25

「孤独のススメ」
非常に落ち着いた黄緑と、クリームイエローを基調にした映像と、淡々と展開する物語の背後にあるなんとも言えない悲しみ、そして、そこからの立ち直りの物語は、なかなか見応えがあるし、胸が熱くなりました。ちょっとした佳作です。監督はディーデリク・エビンゲという人です。

広がる草原の中、一台のバスが走ってくる。バスの色もやや黄緑がかった黄色が美しい。やがて一人の男フレッドが降りてくる。きっちりと整えられた食卓、1分たがわずに食事を始める。日曜には教会に出かける。壁には、事故で亡くした妻と出て行ってしまった息子の写真が飾られている。

ある朝目が覚めると、隣の友人の家に、一人の男がガソリンを貸してくれとやってきている。先日自分の家にもやってきたが、ガス欠になっている車などない。嘘なのだ、慌てて飛び出し、その男を非難するフレッド。そして自分が貸したガソリンの代金として、庭を掃除するように命じる。

しかし、この男、どこかおかしい。フレッドの言葉に頷く程度の返事、近くにある山羊の小屋出て戯れモノマネをする。さらに、フレッドの亡き妻の服を着たりする。

スーパーでモノマネしながら歩くこの男を、芸人だと思い、子供の誕生パーティに来てくれと呼ばれ、フレッド共々出かけることになる。

フレッドはこの男と一緒に暮らすのだが、それは近所に人からは異常に見られ始める。そこでフレッドはこの男を自分の住まいに住所を移させようと役所にくるが、そこでこの男の現住所を知る。そしてそこへ行くと、この男の名前はテオといい、妻もいるのだが、事故で、おかしくなり、徘徊するのだという。

一旦は、テオを実家に返すも、気になって再び迎えに行く。そして、フレッドは、亡き妻にプロポーズした思い出の地マッターホルンへ行くことにする。映画の原題は「マッターホルン」である。

少しずつ、立ち直っていくフレッドの表情が静かなのだが、次第に気持ちが緩んでいく様が見事なのです。

そして、フレッドはテオとマッターホルンに登り、一方で、家を出た息子ヨハンが歌うクラブに出かけ、その姿に、思わず「ヨハン」と叫んで暗転エンディング。

静かな映像なのに、力強さが次第に伝わり、立ち直っていく姿が展開に引き込まれる一本で、ちょっとした良い映画でした。


「太陽」
名作戯曲の映画化であるという話であるが、せせこましい作品である。確かに内容は充実しているし、ストーリーの詰め込み感は半端ではないが、とにかく好みの作品ではない。もちろん、長回しを多用したカメラワークと、見事な構図も多々見られるし、映画としてはなかなかだと思うが、物語がいけない。監督は入江悠、原作は前田知大である。

21世紀の近未来、ウイルスによって人類の大半が死んだのだが、抗体を持ったものの昼の太陽のもとで暮らせない新人類ノクスとウイルスに弱いが太陽のもとで生きられる旧人類キュリオの二分化していた。ノクスは健康体で、知能も高いため、文明は発展していくのだが、キュリオは貧しい生活をしている。

物語の中心はこのキュリオ地区の若者鉄彦、および人々が中心になる。

映画が始まると、ノクスの人間がキュリオの人間に拉致されている。太陽が昇り、ノクスの人間が燃えて死んでしまう。キュリオに住む少女結、ノクスへの転換を望んでいる鉄彦、そして好みの鉄男と境界線で監視をしているノクスの青年森繁らが物語の中心に展開するが、誰が主人公という重点はあまり見えない。

ノクスに支配されているかに見えるキュリオの人々、一方で、優越感に浸っているものの、子供が生まれにくいノクスの苦悩などが、人間として生きることの何かを訴えかけてくる。

ノクスへの転換処置の抽選に当たった結が、転換し、キュリオにいる父親に挨拶をするシーン、さらに鉄彦と森繁が、ボロボロの車に乗り、旅で走り去る場面で映画が終わるのだが、今ひとつ掴み難い作品でした。とにかくあまり好きではないですね。