「ハリーとトント」
実はこの名作を見ていなかった。ポール・マザースキー監督の代表作である。
人生の一片の詩編のような名編。淡々と流れる物語で、特に抑揚もない。ただ主演のハリーを演じたアート・カーニーが実にいい味を出しているし、これという演技もない猫のトントの存在がうまい一本。
ハリーが猫のトントを散歩させているシーンから映画が始まる。間もなく今住んでいるアパートが取り壊されることになり、立退かないといけなくなる。最後まで抵抗するが、息子に迎えられてアパートを出る。しかし息子の家は、子供や奥さんに気兼ねをしてしまい、いづらくなり、西の娘のところを目指し旅に出る。しかし、飛行機は猫がダメで、バスもダメ。とうとう中古車を買って旅を続ける。
途中、ヒッチハイクの若者を拾ったり、怪しいとビタミンを売る老人に出会ったり、娘のところを過ぎて、ベガスを通り大儲けをしている男の傍でルーレットしたり、、西海岸までたどり着くが、そこでトントは死んでしまう。浜辺に住み、かつての教師の経験で仕事をし、海岸で過ごすが、近くにトントに似た猫を見つけ浜辺まで追っかけて行き子供が遊んでいる姿の傍に座りエンディング。
全く、これというのがないのに、人生の哀愁というか深みというか、そんな不思議な空気が全体に漂うし、さりげないセリフの数々がとっても素敵である。カメラも美しいし、心に残る一本である。確かに、物語が平坦なので、退屈という言葉がないわけではない。しかし最後まで見てしまう。こういう映画があってもいいのである。こういう名編があってもいいのだ。これが映画なのです。
「ダーク・プレイス」
「ゴーン・ガール」のギリアン・フリン原作の小説を基にしているのですが、いかんせん、流れが平坦で、何度も眠くなってしまいました。物語にポイントが少ないのか、演出が良くないのか、なんとも言えない映画でした。ラストの締めくくりも今ひとつという感じでした。監督はジル・パケ=ブレネールです。
一人の女性、主人公リビーの母親のアップ、そして「愛している」という言葉でタイトル、映画が始まる。リビーの家族は、ある夜惨殺される。リビーの証言から、兄のベンが犯人とされ、それから28年経っている。これまで全国からの寄付で生活してきたリビーも、寄付金はそこをつき困窮している。そんな彼女に、犯罪について語ったり推理したりする趣味のグループ、殺人クラブ、から招待状が来る。来れば500ドルもらえるという言葉で出かけるリビー。そこで、かつての惨殺事件の真相を解明しようという話になる。こうして本編が始まるが、事件当時と現代が交互に描かれ、幼いリビーと成長したリビーが次々と物語をつないでいくのだが、この切り返しがちょっと短すぎるような気がします。
犯人になった兄のベンは悪魔崇拝のグループに入っていて、そこでクロエ・グレース・モレッツ扮するディオンドラと恋仲になる。やがて妊娠する。このディオンドラはちょっと異常な女性という設定らしいが、クロエ・グレース・モレッツの演技が今ひとつ狂気に見えないので、途中の牛を殺すシーンなどに迫力がない。しかも、終盤の事件の夜、ベンの妹のミシェルがうるさいからと絞め殺すのだから、ちょっと迫力不足。
リビーの幼い頃、父が最低な男で、貧困の極みにあったため、母は、保険金をかけ、自殺をするが、それを他殺に見せるという仕事をしている農夫の男と契約したのだ。そして、殺されるのを覚悟で、惨殺の夜を迎える。一方、ベンとディオンドラは家を飛び出すために、金を取りに自宅に戻ったところ、自殺請負人と出くわすことになるのだ。そして、請負人は母親だけでなく、目が覚めた娘も撃ち殺す。さらに、狂っているディオンドラはミシェルを殺す。すんでのところでリビーは脱出。ベンは隠れているリビーをそのままにする。
事件の真相が分かった時、現代のリビーは大人になったディオンドラとその娘の家にきていた。当然、異常な母と娘はリビーを亡き者にしようとするが、なんとか脱出。ベンは無罪になり釈放、真相が明らかになりエンディング。
現代のリビーがディオンドラのところを訪ねている時のサスペンスが非常に弱く、最後の見せ場にならないし、過去の事件の真相が明らかになる場面の緊迫感も弱い。そのために、全体が、平坦になってしまったという感じです。作りようによっては面白くなるはずなのに残念でした。