くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「ミモザの空に消えた母」「エルヴィス、我が心の歌」「生き

kurawan2016-07-26

ミモザの島に消えた母」
なぜに、あれほどまで家族は主人公に極秘にしたのかが最後まで明確に見えなかった。それなりのミステリーだが、無理やりのミステリーという感じに見えたのは私だけでしょうか。監督はフランソワ・ファブラ。

主人公のアントワン、妹のアガットが干潮のときしか渡れないというミモザ島への道を走っている。二人は言い争っていて、スピードを出したアントワンの車が事故で横転、物語は1ヶ月前に戻る。このまま1ヶ月前からの物語かと思えば、すぐに時間が追いつき、アントワンが母の死の真相にこの30年間疑問を抱いていたという流れになる。

妹のアガットも含め家族全員が口を閉ざす母の死の原因は溺死したということだが、自殺なのか事故なのか。その流れで展開する周辺に、アントワンに真相を隠そうとする冷たい家族の視線。

アントワンの娘が何やら友人と同性愛であるかの描写が挿入されるが、結局最後まで不問のまま。

アントワンは母が死んだ前日にミモザ島に自分たちが泊まったこと、母が死の直前にミモザ島で誰かと会っていたことが見えてくる。それは不倫相手なのか、母の形見の時計の裏の文字からその名前を突き止めるアントワン。しかし、男名だと思われたその刻印の文字が実は女性だと気がつき、幼い頃アガットが母とそのジーンという女性とのキス場面を見たことがあきらかになる。

そして、アントワンがクリスマスに母とジーンの写った写真をみんなに配ったため、祖母が体調を崩し死んでしまう。そして、母の死の日にミモザ島で部屋を貸した女性から真相が明らかになる。

母と姑は仲が悪く、母がジーンとの関係を知って母に問い詰め、ジーンとかけおちするのをやめるように無理やりジーン宛の手紙を書かせる。そして、その手紙を先にホテルに届けるが、それを知った母が無理やり後を追いかけ、満ちてきた潮に阻まれて溺死したということだった。

結局嫁と姑の仲が悪く、姑が母を殺したということをアントワンに伝えなかったという父の判断という感じの流れかと思うのですが、なぜにアントワンだけそこまで疎外したのかが今ひとつわかりづらく、ラストの締めくくりも、なんか何か描写不足が気になる映画でした。一本でした。


「エルヴィス、我が心の歌」
よく考えるとものすごい心象映画という感じで、どこかものすごくシュールな味わいが見える一本でした。監督が「バードマン」の脚本も手がけたアルマンド・ボーだからでしょうか。ラストにはてなが残る作品です。

映画が始まると、とある階段が延々と映され登っていくと、パーティシーン、エルヴィス・プレスリーの姿で歌う主人公のカルロスの姿になる。この冒頭から、どこか不思議な空気が漂う。

カルロスの妻とは別居していて、愛する娘リサがいる。ステージに立つときはエルヴィスになりきるカルロスだが、娘が可愛くて仕方のないある意味普通の父親である。その描写と、妻を愛する温かい心の人物の描写が続く。

あるステージに立っている時、妻と娘が交通事故に遭う。妻が昏睡状態になり、娘としばらく暮らすことになるが、家計は苦しい。ただ、リサへはなけなしの金を残すカルロスの姿も一方で健気に描かれる。

やがて妻は目覚め、リサは妻の元へ。そして、カルロスは42歳を迎える。エルヴィスが死んだ歳である。カルロスはリムジンを手配し、エルヴィスの生家メンフィスへと旅立つ。そして、エルヴィスの住んでいた邸宅のツアーに参加し、一人ツアー客から外れクローゼットに隠れ、閉館の後、薬を飲んで自殺してエンディング。

カルロスがエルヴィスに心酔しているのはわかるし、歌もうまいのもわかる。家族思いなのもわかる。しかし、最後に自殺するという流れが、今ひとつわかりづらく、確かに主人公のカルロスの心の風景を映像にいた感じはするのですが、全編淡々と流れるストーリーが不思議なくらいに平坦なのである。一体カルロスは何を考え何を目指し、何を目的に生きたのか。そのあたりの訴えかけはただ映像を感じ取るというだけにとどまるのである。つまり、娘の名前もエルヴィスの娘と同じで、生活、姿、何もかもをエルヴィスと同一視し、死の時も同じにした一人の男の物語ということなのだろう。
不思議な映画と言えなくもない一本でした。


「生きうつしのプリマ」
質の高い作品で、画面の絵作りといい、場面転換のうまさといい、なかなかの秀作でした。しかしながら、物語がどうも入り込めないのと若干の荒さも見えて、中盤眠くなってしまった。監督はマルガレーテ・フォン・トロッタです。

主人公で歌手であるゾフィがクラブで歌っているシーンから映画が始まる。いきなり演奏を止められクビになる彼女。そんな彼女は昨年母を亡くしている。

父の家に行った時、突然父がネットの画像を見せる。それは有名なオペラ歌手のカタリーナという女性だが、なんと母に瓜二つなのだ。父はこの女性に惹かれ、ゾフィにニューヨークに行ってくれと依頼する。

親孝行と思って出かけたゾフィ、なんとか楽屋に飛び込みその流れで食事を一緒にできるものの、素気無く扱われる。ゾフィは母の写真をカタリーナに託して去るのですが、カタリーナの付き人の男性の行為で、カタリーナと徐々に近づいていく。

この付き人といきなりのベッドインで段取りしてもらうくだりはさすがに受け入れがたいが、そこはゾフィのキャラクターと舞台背景で納得するところかもしれません。

ゾフィの父が住む家に向かう時のドイツの田園風景が美しく、そこを車が走るショットは見事です。

父はなんとかカタリーナに会いたいのでドイツに呼んでくれというし、一方でカタリーナの母で施設に入院している女性にゾフィが近づくと、なんと彼女はゾフィの母の写真を見てエヴェリンと叫ぶのだ。それはゾフィの母の名前だった。次第に核心に迫っていくゾフィ、やがて、見えてくる真相。カタリーナの父はドイツ人の男性ということだが、なんとゾフィの父の兄だった。エヴェリンの墓にゾフィとカタリーナがいる時にその兄が花を持ってきてその真相が明らかになる。

兄弟で一人の女性を愛し、それぞれ楽屋に娘を授かる。そういうクライマックスは確かに驚愕のラストということだが、ちょっと荒すぎる気がしないでもない。ゾフィがカタリーナと会うために付き人に体を許すくだりなども考えると、その辺りが実に節操がないと思う。

しかし、そういう点はこの作品の真実ではない気がするのも確かで、映画としてのクオリティは十分に見応えのある一本だったと思います。