くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「ミュージアム」「この世界の片隅に」

kurawan2016-11-14

ミュージアム
しつこいというか、くどいというか、しかもサスペンスもミステリーもない薄っぺらな登場人物に、見ていて、いらいら感だけが募る作品でした。監督が大友啓史なので、それなりに期待していたのに、中途半端なスプラッターホラーという感じの一本でした。

主人公沢村が妻遥から愛想をつかされているようなセリフを投げられるところから映画が始まる。同じ頃、猟奇的な殺人事件が起こっている。最初は空腹の犬に生きたまま食い殺させる事件、さらに、生まれた時の重さの肉体を生きたままえぐりとられ殺される事件。その事件を追っている沢村の前に、被害者の共通点が示される。何と、それは、かつて少女をクリスタル保存して殺した事件の犯人をさばいた裁判員たちだった。しかも、その裁判員に遥も選ばれていたのだ。しかし、家を出た遥の居所がつかめないまま、沢村は捜査を外され、一人犯人を追う。

そんな彼の前に、挑戦するかのように現れるカエルの面を被った犯人。沢村の同僚も沢村の目の前で殺され、沢村はふとしたヒントから、犯人は日光アレルギーだと気づく。そして、専門病院を周り、一人の医師から、そういう重度のアレルギーを持つ人物を特定、その屋敷に乗り込む。この辺も実に軽いのです。

しかし、反撃を食って、沢村は拉致されるのだ。とにかく、軽い展開である。やたら暴れまわる沢村のキャラクターさえも、くどく見えて来る。自分の妻や子供を探すのに、そこまで感情的になったら、そりゃ反撃されるだろうという感じだ。

そして、屋敷に拉致された沢村は、犯人に与えられたジグソーパズルを解くことに。まるで「SAW」のような展開に、原作の薄っぺらさが露呈して来る。

時折、食料で投げられるハンバーガー。それを作る犯人の姿から、もしかしたら、沢村の妻と子供がハンバーガーなのではないかと見えて来るし、ジグソーパズルの穴をつなぐとEAT MEとなる下りから、逆に、これはあり得ないと見えるのだ。この辺りのサスペンスも実に弱い。

そして、部屋を脱出した沢村の前にあったのは、精巧に作られた妻と子供の首。なるほど、一見、食べたかのようだが実は違うのが見え見え。

沢村の前に現れたカエルの面をかぶる犯人。逃げる途中で同じカエルの面をつけた人間と入れ替わるが、沢村は銃を撃つのをためらう。それは妻だった。犯人は息子に銃を突きつけ、妻を撃ち殺せと命令するが、最後の最後で、沢村はカエル男を撃ち、同士討ちに倒れる。どんだけ、適当なんだというラストが、とにかくしつこいほどに描かれる。しかも、大したどんでん返しでもない。

警察が乗り込み、犯人逮捕。逮捕の時に日光に当たったために、入院するが、実は犯人にはもう一人兄弟がいて、沢村にヒントを与えた病院の女医師だとわかる。そして、ベッドで眠る犯人に面会し、何やら注射して死に至らしめる。

沢村は仕事一筋から家庭人に変身し、子供の運動会のビデオを写す。しかし、カメラの先で、息子は首筋を痒そうにかいている。まるでカエル男がかいていたかの風である。そしてエンディング。ため息である。

このエピローグも、これというサプライズもないし、第一、仕事一筋だけで、妻が愛想をつかすという構図自体、いまどきあり得ない。この、適当な前提から始まるこの原作の弱さは、大友啓史を持ってしても、一級品のサスペンスには仕上がらなかった。

確かに、狭い廊下をカメラが移動する得意のシーンなどは見られるものの、作品の効果に結びついていないのは実に残念。ちょっと期待の一本だけに、この出来栄えはないかなという映画でした。


この世界の片隅に
こうの史代原作のコミックを片渕須直監督がアニメーションにした作品で、非常に静かなタッチで展開する物語の背景にある激動の日本の姿が、実に切なくて素朴な感情を生み出してくれる一本。派手な展開も劇的な物語もないのに、なぜか、ラストシーンに胸が熱くなってしまう。忘れてしまいそうな懐かしい感情が蘇る映画でした。

昭和初期、世の中は戦争へと流れていこうとする時代の広島に物語が始まる。主人公のすずは、どこかのんびりした性格ながらも絵が描くのが大好きだった。ある日、突然嫁入りすることになり呉に行くことになる。この時代、日本の姿をまず見事に描き出すオープニングがうまい。

間も無くして、第二次大戦が始まり、夫は近くの海軍法務局で働くが、周りの人々は戦争へと駆り出されて行く。最初は、一体戦争はどこでやっているのだろうと思うような景色だったのだが、やがて、みるみる空襲警報が続くようになり、否応でも、戦争というものを実感して来るすず。

身近な人が突然亡くなり、姉の子供も、落ちてきた爆弾に出くわして死んでしまう。その際、すずの右手も無くなってしまうのだ。

描かれる風景はあくまで淡色を主にしたのどかな色合いなのに、物語はどんどん、戦禍の中に放り込まれて行く。

そして八月十五日、広島に原爆が落とされる。はるかかなたに盛り上がって来るキノコ雲、突然の閃光、地震のような衝撃、そして日本は敗戦を迎えるのだ。

すずは実家を訪ねるために広島に行き、その帰り道、一人の戦災孤児と出会う。そしてその子を連れて帰り、呉の家で、生活するようになり、家に明かりが灯ってエンディング。この世界の片隅に、こんな何気無い普通の家族がいるのである。世界がどういう大きな変化をもたらそうとも、世界の片隅には普通があるのかもしれない。

確かに、戦争テーマの作品だが、そこに流れるのは素朴な人々の素朴な毎日の日常、ただそれだけなのである。だからこそ、胸に訴えかけて来るものが身近に感じられるのかもしれません。良質の作品でした。