くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「涙」「ノン、あるいは支配の空しい栄光」

kurawan2016-11-24

「涙」
これは名編でした。傑作というより名作という言葉がぴったりの作品。全編がとにかく美しくて純粋。ドラマに曇りがないというのはこういう映画を言うのでしょうね。監督は川頭義郎です。

浜松の楽器工場で、主人公志津子が同僚たちと合唱しているシーンから映画が始まる。彼女には会社の同僚で磯部という恋人がいるが、磯部の実家は旧家で、一方の志津子は父が貧乏役者をし、兄も風来坊のような生活をしていて、叔父の家に居候している身だった。

当然、時代ゆえに家柄の違いで二人は結婚に支障がある立場なのである。叔母もここまで育てたもの、娘の養子縁組も控え、志津子を追い出し同然で嫁に出したいと考えていた。

そして、志津子に見合いの話が舞い込む。お寺の次男坊で、会ってみれば温厚な人物。しかし志津子は磯部への思いを断ち切れないまま気持ちが揺れている。志津子の兄信也もそんな妹が不憫で、見合い話を断るべく、相手の中井守の元を訪れるが、その人柄にほだされ、妹をよろしくと言ってしまう。

そして結婚、優しく心の広い中井に志津子は安心をする一方、磯部のことがまだ心に残っている。そんな志津子の気持ちを理解した上で、大事にする中井。

初恋への純愛、兄と妹の美しい心の交わり、そして、結婚の日に訪ねて来た父の思いなど、本当に人間の心の根源のまっさらな感情が繰り返す展開がたまらなく美しい。

画面の構図もシンプルな遠景を多用したり、人物を小さく捉える落ち着いたカットを入れたり、非常に物静かな演出を心がける。

中井と志津子は東京で暮らすが、浜松の祭りの日に、里帰りしてくる。志津子たちの前に、祭りの仮面を被った人物がやって来て、お祝いの仕草である槍をツンと向ける。顔は見えないが、それが父だとわかった志津子が涙ぐんでカメラはゆっくりと俯瞰でバックしてエンディング。これこそ名編の仕上がりと呼べる名作である。いい映画でした。こういう映画が、どんどんジャンクされて二度と見れなくなっているのは実にさみしいです。


「ノン、あるいは支配の空しい栄光」
1974年、ポルトガルの植民地で戦う兵士たちが、過去の戦争の歴史を振り返りながら描く戦争叙事詩スペクタクル。というものですが、正直退屈で何度も眠くなってしまいました。監督はマノエル・ド・オリヴェイラです。

一本の木をカメラがじっと捉えている。船の上から狙っているのだろう、木が動かないが周りの木々はゆっくり回転していく。場所はジャングルである。このオープニングがまずすごい。

やがて兵士たちのカット、中隊長が植民地を守るこの戦闘の虚しさを語りながら過去の戦争の歴史を話し始める。

過去の四度の敗北の歴史がコスチュームプレイによる史劇のタッチで繰り返される。さすがにスペクタクルというわけではないが、独特の空気で描かれる映像は、何処かシュールなイメージを醸し出すから不思議である。

ジープに乗った兵士たちが中隊長の話に耳を傾けるシーンと過去のシーンが繰り返され、最後に、突然戦闘が始まり重傷を負った兵士たちが病院に横たわる。中隊長も撃たれ、やがて死を迎えて映画が終わる。

エピローグに過去の戦場の場面が芸術的な構図で映し出されてエンドクレジットになる。さすがにしんどい映画だった。