くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「ローマ法王になる日まで」「セールスマン」

kurawan2017-06-21

ローマ法王になる日まで」
2013年にローマ法王になったフランシスコの半生を描いた実話の物語であるが、真摯に向き合って誠実に綴って行く物語にいつの間にか引き込まれてしまう作品でした。監督はダニエーレ・ルケッティです。

一人の年老いた司教ベルゴリオ。間も無く開かれるコンクラーベで新しい法王が決定される前夜に映画が始まる。そして彼はこれまで歩んできた自身の物語を回想する。

時は1960年アルゼンチンの首都ブエノスアイレス。若き日のベルゴリオは大学で化学を学び、どこにでもいる若者と同じく友人と騒ぎ、ささやかな恋も経験していたが、神に仕えることが正しいと信じイエズス会に入る。それはあらゆる俗世界から離れ神に仕えることだった。

古いしきたりに縛られることなく、運営するために経営的な知識も取り入れて教会の組織を改善していこうとする。

こうして一人の司教の物語が始まるのだが、それから16年、アルゼンチンはビデラ政権の下、独裁政治の時代に入って行く。次々と思想弾圧で、仲間が殺されて行く中で自分の信念をしっかり持って立ち向かって行く彼の姿は、いわゆる英雄譚としての描き方になっているものの、キリスト教圏ではない我々には、かえって先入観なくサスペンスとして見れてしまう。

ただの一人の偉人を描くという視点ではなく、いかに困難な時代をくぐり抜けて行くかという視点で描かれる映画になっているために、いつの間にかそのタッチに引き込まれてしまうのです。

やがて独裁政権が倒れ、彼はドイツに招かれ、神学校で学び、その後アルゼンチンに戻るが、彼の功績は法王も認めるところとなり、補佐としての仕事を命じられる。そして時が経ち、法王が辞職を表明、新しい法王選出の段となる。

アルゼンチンを離れるベルゴリオは、信者たちに、自分に祈りを捧げてくださいと言い残しローマへ。そしてコンクラーベの結果、彼は266代ローマ法王となる。映画はここで終わるが、貧困層を含め庶民に寄り添った活動をしてきた彼の姿がフラッシュバックされてエンドタイトル。なぜか、心に残るものがある作品でした。


「セールスマン」
とにかくクライマックスが圧倒的に素晴らしい。予測を覆してなんとも言えない余韻を残すエピローグへ繋ぐこの感覚はなんだろう。並外れた感性が生み出す並外れた発想から生まれる演出の見事さに開いた口がふさがらなかった。監督はアスガー・ファルハディである。

アパートが崩れるから、早く避難しないと、という突拍子も無いシーンから映画が幕を開ける。このオープニングで引き込まれて掴まれてしまう。主人公エマッドと妻ラナは慌てて部屋を飛び出す。カットが変わると演劇の舞台。エマッドとラナは舞台俳優で、今「セールスマンの死」を公演している。エマッドは大学で演技の講義をしている教師らしい。

エマッドたちは劇団の同僚の紹介でとりあえず新しいアパートに引っ越したのだが、ある夜、エマッドが帰ってくると妻がいない。しかも浴室に血が残っていて、隣人に教えられ慌てて病院へ行く。どうやら、前の住人がいかがわしい仕事をしていた女で、その客が訪問してきて、妻を前の女と間違えて襲ったらしいことがわかる。しかも、駐車場には犯人のものと思われるトラックが残され、部屋には車の鍵と幾らかの金が置かれていた。この場面が、無駄なカットを全て排除し、しかも長回しのカメラも多用した見事なリズムで一気に見せてしまう。

普通ならここから警察の介入による展開になるのだろうが、イランでは警察もあてにならないらしく、エマッドは一人で犯人を探し始める。

やがて、トラックが何者かに持ち去られ、おそらく持ち主だろうとその所有者の店に出向くうエマッドはそこでマジッドという若者を突き止める。そしてその男に引っ越しの手伝いを頼みたいとかつてのアパートに呼び出したのだが、やってきたのは義父と名乗る老人だった。

しかし、妻の事件とマジッドが犯人かもしれないという話を始めるエマッドに一抹の疑問が生まれ、この老人こそが犯人だと確信し問い詰める。そして老人を閉じ込め、妻を連れて戻ると、老人は部屋で倒れていた。老人は心臓が悪かったのだ。なんとか薬を飲ませ快復させたエマッドは妻の反対をよそに、家族を呼び全て告白させるとマジッドたちを呼ぶ。

しかしラナはそこまで復讐に執拗になるエマッドに、老人をそのまま返してやれというのだ。やがて、マジッドや老人の妻もやってきて、エマッドたちに、老人の命を助けてくれたと涙ながらに感謝する。
その姿にエマッドも告白させるのをやめ家族の元に老人を託すが、老人は帰りざまに
「お詫びを・・・」と振り返る。

エマッドは老人を一人で呼び戻し、奥の部屋に連れ込んで、老人が置いていった金などを返して、去り際に顔面を殴る。一瞬のことだがこれが老人に再度ダメージとなる。この展開、これでもかとひっくり返す脚本の組み立てのうまさが光るのはここである。

そして家族とともに階段を降りる老人だが途中で気分が悪くなりそのまま死んでしまう。
このクライマックスの駆け引きと家族とエマッドたちの会話、ラナのエマッドへの態度などが複雑にからみあって、まるで心理戦のようなサスペンスが展開する様がとにかく恐ろしいほどに素晴らしく圧倒されるのです

そして、救急車に乗せられる老人を後ろにラナは一人で家を出て行く。カットが変わりエマッドとラナは楽屋で何事もなかったようにメイクをしてもらっているシーンでエンディング。

実は全てがフィクションだったのでは無いか。舞台劇「セールスマンの死」とラナに起こった現実が複雑に絡んだ舞台劇だったのでは無いかとさえ思わせる見事なエピローグである。アカデミー賞外国語映画賞、カンヌの脚本賞を取ったのも十分うなづける見事な作品でした。