「軍中楽園」
淡々と進む物語ですが、とってもいい映画でした。流れている空気感がしみじみと胸に迫ってくるし、心の隅に静かなな感動を残してくれます。監督はニウ・チェンザー。
時は第二次大戦直後、蒋介石の中華民国は台湾に移り大陸との戦闘を始めている。徴兵で軍隊に入ったルオ・バオタイは鬼教官ラオジャンのもとで訓練を始めるが、泳ぐことが全くできないルオは831部隊に転属させられる。そこは、兵隊を慰安する慰安部隊で、女たちの管理がその任務だった。
バオタイはそこで美しい一人の娼婦ニーニーと出会う。バオタイには故郷に恋人がいたが、童貞を捧げるのは恋人と決めていた。
ある時、街でラオジャンと出会う。ラオジャンは字が書けないので質に行くのに字が書けるバオタイを誘う。そして、ラオジャンは質で金を作り、慰安所の娼婦で贔屓にしているアジャオに足繁く通っていた。ラオジャンは本気だったが、アジャオは所詮客の一人だった。
またある時はバオタイの同期入隊の男がやってくる。彼は体が小さいために前線ではない抗道の任務を与えられていたが、先輩からいじめを受けていた。そして、いつも通う娼婦と恋仲になり、娼婦を変装させて脱走してしまう。
一方のラオジャンは愛するアジャオと結婚するつもりで除隊を申し出、上官に借金をして、準備を進める。ところが、そんなラオジャンの気持ちも知らず、アジャオは客を取り始める。その姿をみたバオタイは、そのことをラオジャンに知らせたため、動転したラオジャンはアジャオを殺してしまい、連行されて行く。
やがて時が経ち、蒋介石の60周年を迎え恩赦が出ることになる。刑期を減らし息子のもとに戻りたいためここにきていたニーニーは恩赦を受けるため刑務所に戻ることになりバオタイに別れを告げる。最後の日に、体を合わせようとするが、最後の最後にバオタイは体を離し去ってしまう。
時が流れ、バオタイもここでの先輩格になる。そして除隊の日を迎え、娼婦たちに見送られながら去って行く。様々な青春の思い出がバオタイには蘇る。物語はここで終わり、1990年、この地は閉鎖されたナレーションがかぶる。
甘酸っぱいような切なさがジワリと滲み出てくるようなラストシーンが実にみずみずしい。エンドクレジットが、時の流れの虚しさを映し出してくるような余韻のある作品でした。
「ファントム・スレッド」
格調高い映像と音楽で奏でる狂気の世界。愛の至高のドラマかもしれないけれどどこか狂ったものが見え隠れする見事な作品でした。監督はポール・トーマス・アンダーソン。
一人の女性アルマが語っているシーンから映画が始まる。
時は1950年、上流階級のドレスを作るファッション界の中心的存在のデザイナーウッドコックは、いつも行く食堂のウェイトレスアルマと恋に落ちる。ほんの些細な物音にも心を乱されるほど繊細なウッドコックは以前いた女性ジョアンナを追い出し、アルマをミューズとしてファッション界に引き入れる。ウッドコックのパートナーシリルはこのことに一抹の不安を覚える。
そして、アルマはいつの間にかことあるごとにウッドコックを悩ませる存在に変わって行く。
アルマは普通の愛する恋人としての存在をウッドコックに求めたが、ウッドコックは些細なことにも仕事の邪魔をされることを望まなかった。
アルマは、いつも摘み取るキノコの中にある毒キノコをすりつぶし、わずかに食事に加え、ウッドコックに食べさせる。何かわからないままに体調を崩したウッドコックを献身的に看病し、間も無く快復。
そのショックで命の限界を知ったウッドコックは正式にアルマと結婚する。しかし、高齢で何事にも静かな生活を望むうウッドコックに不満を持ち始めたアルマは、再度大量の毒キノコを食べさせる決心をする。
アルマを愛し、アルマの気持ちを察したウッドコックは、あえてその食事を口にし、アルマの愛に応える決心をする。そして毒キノコで看病をする妻アルマの姿と看病されるウッドコックの生き方が二人の愛の形になって行く
やがて、子供も生まれ、ウッドコックとアルマ、そしてシリルの三人で暮らす日々が映し出され映画が終わる。
ファッション界という狂気の世界に飛び込んだ普通の市民アルマがたどり着いた究極の愛の形、そしてそれを受け入れたウッドコックの存在がこの映画のメッセージなのだろうと思います。狂っているかもしれないけれど、この常軌を逸した世界こそが本当の愛なのだと言わんばかりです。
美しい画面と構図、背後に常に流れる静かな音楽が、格調の高い映像表現として作品を形作っていきます。かなりのクオリティに圧倒される映画です。ある意味高級すぎると言えなくもないですが、素晴らしい映画でした。
「海を駆ける」
全く捉えどころのない映画だった。ファンタジーなのだが、視点が見えない。得体の知れないラウという不思議な人物をキーに展開するが行き着くものが見えなかった。監督は深田晃司。
海から一人の男が現れ海岸で倒れるシーンから映画が始まる。災害復興の仕事をしている貴子のところに日本から姪のサチコがやってくる。一方現地でカメラを回して将来の夢につなげようとしているイルマとその幼馴染のクリスがいる。貴子にはタカシという子供がいる。
物語はこのタカシの家族とイルマたちの日常が描かれ、そこにラウという不思議な人物が時に見せる奇跡のような現象を織り交ぜて展開して行く。
サチコは父の遺灰をまくために、生前父が残した写真の場所を探していて、それがサバンにある昔のトーチカのそばだとわかり、タカシらと一緒にそこに行く。そこにラウも加わり、不思議な空気のままに再び海に帰って行って映画が終わる。
という物語を繰り返してみても、どうも視点が見えない。ラウを演じたディーン・フジオカの出演だけで映画を引っ張るという感じの一本だった。