くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「クレアのカメラ」「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」「

kurawan2018-07-25

クレアのカメラ
とっても柔らかい色調で、例によって何気無い話なのですが不思議なムードが漂う映画。この魅力には毎回引き込まれます。監督はホン・サンス

映画会社で働くマニが仕事をしているシーンに映画が始まる。カンヌに仕事できていた彼女は突然社長から解雇を言い渡される。女癖の悪い映画監督ソとひと時の関係を持ったことで、監督の愛人でもあった社長の嫉妬を買ったのだと判断する。


そんなある日、クレアというフランス人の女性がソと出会う。そして写真を撮るのだが、彼女は写真を撮ると変化が起こると語る。そしてソと社長と一緒に食事をしたクレアは、ここに来手撮った数枚の写真を見せるのだが、そこにマニが写っていた。

クレアはマニと偶然知り合い、彼女に言われるままに写真を撮り、カンヌに来て会社をクビになった党の話をするのだが、ソ監督の写真を気レアが持っていることに気がつく。

そして、マニが社長に解雇を言い渡されたカフェのテーブルで、クレアに写真を撮ってもらう。

その夜、クレアといたマニの元に社長から話があると呼ばれる。二人は路地を話しながら歩く。

次のカット、会社の荷物を整理しているマニの姿でエンディング。

淡いクリーム色の色調を中心にした色彩演出の美しさ、さりげない展開と長回しを多用した画面がとっても癒される。

何気ない一瞬の日常を非凡な感性で切り取った素敵な作品でした。


志乃ちゃんは自分の名前が言えない
一見、単縦な感動ドラマになりそうな物語ですが、とっても奥の深い、美しい青春ドラマの1ページとして素直に捉えた仕上がりが心に染み渡る秀作でした。原作がいいのか脚本がいいのか演出がいいのかはともかく、主演の二人、南沙良蒔田彩珠の名演がこの映画の魅力を生み出したのでしょう。監督は湯浅弘章

主人公大島志乃が自室の鏡の前で自分の名前をいう練習をしている場面から映画が始まる。極度の緊張症で、人前で喋ろうとするとどもって言葉が出ない。今日は高校入学しての最初の授業なのである。しかし、練習したにもかかわらず、何も喋れずクラスの嘲笑を浴びて帰ってくる。

ある日の帰り、自転車を取ろうとして周りの自転車を倒してしまい、通りかかった岡崎加代に当たってしまう。

昼休みもみんなの中でお弁当を食べられない志乃は、一人校舎の裏でご飯を食べていた。そこでカセットを聞いて歌っている加代を見つけしかし言葉をかけられない志乃。

その帰り、志乃は加代に近づき、自転車のことを謝まるのだが、加代はメモ帳を出し、喋れないならかけと促す。そして面白いことを書けばメモ帳をやると言われ、おちんちんと書いて志乃は加代に返す。

一緒に帰る志乃に加代は家に遊びに来いと誘う。加代の家は両親がいつも留守だった。部屋に入った志乃はギターがあるのを見て、弾いてほしいとせがむ。最初は拒んだ加代だが仕方なく引き出すとおもわず歌声が出る。加代は極度の音痴だった。おもわず笑った志乃を加代はなじり、志乃はその場を逃げ出す。

口を聞いてくれなくなった加代に一言謝ろうと付け回す志乃は、加代が一人でカラオケボックスに入るところで中学の友達連中にからかわれているのを目撃、おもわず飛び込んで、自分と一緒に入る予定なのだと加代を助ける。

カラオケボックスに入るのだが、志乃は歌を歌うときはどもらなかった。加代と志乃はこの日から親しくなり、加代は志乃に一緒にデュエットを組もうと誘う。そしてだんだん志乃も加代の前ではどもらなくなる。

やがて二人は路上ライブを始めるのだが、ある時同級生の菊地に見つかってしまう。その場の空気が読めずいつもひとりぼっちの菊地。クラスでも加代たちをからかう菊地に加代は平手打ちを食らわせる。実は菊地はかつていじめにあい、今も友達がいなかった。

志乃と加代の前に謝りにきた菊地は、自分もバンドに入りたいと言う。最初は乗り気でなかった二人だが、菊地の姿を見るにつけ一緒にバンドをすることに。しかし菊地が入ると途端に志乃は喋れなくなり、一方で加代と菊地が普通に楽しそうに話しているのを見て、志乃は逃げ出してしまう。そして引きこもってしまう。

菊地も加代も心配するが、どうしようもなく、菊地が誘っても逃げ出す始末。ようやく加代が連れ出し、二人で最初に路上ライブに行ったところへ行くが結局打ち溶けられず、加代は志乃と別れる。

やがて、加代と志乃が最初の目標にしていた文化祭の日が訪れる。加代は一人で歌うといい、舞台で音痴ながらも必死でオリジナル曲を歌う。そこへたまりかねた志乃がやってきて、自分は大島志乃で、言葉がうまく喋れないと絶叫する。

文化祭が終わり、菊地は校舎の隅で一人で弁当を食べ、加代は一人ギターの練習をしている。教室で一人弁当を食べる志乃の前に今まで話したこともない同級生がジュースのパックを置き、前に座る。志乃は必死でお礼を言って微笑んで暗転エンディング。

ほんの一瞬の青春の一ページを、ありきたりの感動ドラマではなく素朴な物語として描いた姿勢がとっても好感で、かえってドラマチックな話より心に染み渡りました。いい映画でした。

「エロス+虐殺」(公開当時版)
三分の一の画面割りを徹底して、ハイキーの露出で描く恐ろしく前衛的ながら恐ろしくのめり込んでしまう恐ろしいほどの映画でした。監督は吉田喜重。全く吉田喜重監督の才能の真骨頂とも言える映像美の極致の作品でした。

物語は大正のアナーキスト大杉栄と彼が唱えた自由恋愛論を基軸に、彼と伊藤野枝の物語に史実を交えたフィクションとして展開、さらに1970年代の若いカップルの会話を交錯させ、時間と空間を駆使した極めて様式美と前衛的な演出を交えてストーリーが進む。

全体はフィクションであるが、所々に挿入される史実、実在の登場人物の登場で、フィクションとノンフィクションの不思議な感覚を味わうことができる。

しかも、映像演出が実に美しく、得意の三分割の画面構図と奥行きのあるシンメトリーなカット、さらにハイキーの露出による白飛びした画面が、非凡な世界観を創出してくれます。

とにかく、時間や空間を縦横無尽に駆使していくので、かなり高尚で難解な作品ですが、いつのまにか陶酔してしまう魅力があり、何度も見直してみたくなる魅力のある作品でした。