「暗殺のオペラ」(デジタルリマスター版)
スクリーンで見たのは、30年ぶりくらいか、流石にこのレベルの映画を撮れる監督はそうそういないなと唸らせる傑作だった。少々説明台詞が多いのと、過去と現代が境目なく入れ替わるので、油断すると混乱してしまうのだが、それでも美しい色彩と構図の演出が見事な映画でした。監督は言わずもがなベルナルド・ベルトルッチ。
主人公アトスが父の死の真相を探るべく架空の街タラに列車で降り立つところから映画が始まる。一緒に降り立つ水兵や町の人々の視線、出て来る人たちが老人ばかりというシュールなオープニングにまず目を引かれる。
そこへ、彼を呼び寄せたかつての父の愛人アリダ・ヴァリが登場。赤い花と背後の景色がまるで油絵の絵画のように組み合わされた構図が素晴らしい。
はるかかなたに突き通すような縦の構図からこちらに向かって来るアトスの姿や、入れ替わる人々のストップモーションのような演出は明らかに意図的で、その不思議な映像が物語の不気味さを盛り上げる。
反ファシストの英雄であった父とアトスの胸像が広場に置かれ、その脇をカメラがゆっくりとパンニングして背後の若きアトスを捉えて行く移動撮影、なぜか広場には人がいなくて、時折若きアトスに襲いかかって来る人たちがいたりする。
そして、アトスが探って行く中で、父がこの地でいた頃、ムッソリーニがやって来るという噂が流れ、彼を暗殺するべくアトスと親友三人が計画した物語が見えてくる。そして、ムッソリーニは来なかったが、そのオペラの舞台で、父アトスは背後から撃たれて死ぬ。果たして、裏切り者は誰だったか?
若きアトスは、父が殺された桟敷席に立つ。背後に迫る親友たち三人。その姿が鏡に映し出され、父アトスは、承知の上で死んだことがわかる。そして親友たちの明かした真実とは、裏切り者こそが父アトスで、当時反ファシストの英雄と見られていた自分が殺されることで、誰もがファシストの仕業であると思い、ファシストへの憎しみが確固たるものになるからというものだった。
全ての真実を知り、若きアトスは帰るべく駅に立つ。しかし列車が遅れるというアナウンス、線路に茂る草が次第に深くなり、やがて時が一気に過ぎたかのように生い茂って映画が終わる。全く見事である。
父の時代と今のアトスの時代は明らかに40年近くの隔たりがあるにもかかわらず、父の親友たち、愛人などは当時の姿と同じ容姿で画面に出て来るし、アトスと父アトスの違いは首に巻いた赤いスカーフのみという演出で、時間の隔たりがあるのかないのかわからない画面作りはまさに芸術的である。
正直、眠くなる瞬間もあるのだが、何度も見て見たくなる傑作、これこそ映像芸術というものかと、圧倒されてしまいます。素晴らしい一本だと思います。
「チャーチル ノルマンディの決断」
英雄視された人物の裏話というのはえてして、後ろ向きなだけの作品になりがちですが、しっかりとしかも重厚に描かれているちょっとした映画でした。難をいうと冒頭、チャーチルがこの映画のメッセージを台詞で喋ってしまう台本はいただけないというところです。監督はジョナサン・デブリスキー。
チャーチルが海岸を歩いている。第一次大戦で自ら指揮した上陸作戦で大勢の若者を死なせた。そのトラウマにいまだに苦しんでいた。時はノルマンディ上陸作戦をまじかに控えた日である。
アイゼンハワー将軍率いる連合軍は、フランスノルマンディ上陸作戦の決行に向かって淡々と準備を進めていた。しかし、時のイギリス首相チャーチルは、若者が大勢死ぬことが明らかなこの作戦に断固反対して、何かにつけ苦言をはいていた。
そんな彼に側近たちもそして妻も次第にその扱いに危惧し始めていた。かつてダンケルク脱出作戦などを指揮した気力充実のチャーチルもその責務からかなり疲弊していたのである。
映画は、英雄としての彼とその重圧からの疲弊という人間的な部分を丁寧に描いて行く。その描き方が実にまっすぐであるために、非常にしっかりした人間ドラマとして伝わってくる。もちろん脇役に配した役者陣の力量もあって、リアルな人間像としてチャーチルが描かれている。
また、時に映画的な絵作りにも工夫が凝らされ、決して、英雄を描くことに気負い込んだ演出になっていないのも、この作品が良質のものになっている原因だと思います。
歴史上の人物の素直な姿をしっかり見ることができたいい映画だったと思います。