くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「ニセコイ」「シシリアン・ゴースト・ストーリー」「宵闇真珠」

ニセコイ

全編馬鹿騒ぎだけで突っ走るノリだけの作品。ここまで割り切ればそれもありだろうと楽しめたのですが、リズム感が悪く、時間の割には長くくどく感じてしまったには残念。監督は河合勇人

 

極道組織集英組の2代目一条楽が学校へ行くところからコミカルに映画は始まる。ところが、校門で飛び蹴りを一人の女子高生千棘にくらわされる。彼女はアメリカからの転校生だった。

 

家に帰った楽は、アメリカのギャングとの抗争が本格化してきて、それを回避するためにお互いのボスが勝手に自分の子供を恋人同士にして抗争を回避しようとする。しかも、アメリカギャングの娘桐崎千棘は、昼間飛び蹴りを食らった女子高生だった。

 

こうして楽と千棘は嘘の恋愛を始めるが、周りの組員たちがコミカルに取り巻くのが前半の展開。楽には12年前に結婚を約束した少女がいて、それぞれ鍵のペンダントを持ち合って、将来を約束していた。そして楽もその少女を探していた。

 

実はその少女とは、楽のクラスメートの小野寺だった。ここにもう一人警視総監の娘で楽にぞっこんの少女なども絡んできて、物語は三角四角関係へ。そして、学園祭のロミオとジュリエットの舞台

を演じることになる千棘と楽の物語から小野寺が楽の運命の女性だとわかり千棘が身を引く一方で楽は本当に好きなのは千棘と気がつく。千棘は身を引いてアメリカに帰るが楽がプライベートジェットを追いかけるシーンで物語は大団円。

 

予想通りのラストシーンでわかりやすい映画です。気楽に見る分には十分な一本でした。

 

シシリアン・ゴースト・ストーリー」

かなりシュールで詩的な映像ですが、ここまで描写しなくてもいいのではと思えるほどのくどさ

だけが気になるちょっとした佳作でした。実話を基にしたファンタジックなラブストーリーです。監督はアントニオ・ピアッツァ&ファビオ・グラッサドニア。

 

なにやら見えない何かをカメラが捉え、やがて、一人の少年ジュゼッペが水を飲んでいる。そして森の中へ、あとを追うように一人の少女ルナが森に入る。ルナはジュゼッペが好きで、恋人同士だった。森でルナはジュゼッペに手紙を渡す。

 

帰り、狂犬に追われたルナをジュゼッペは助ける。ジュゼッペは乗馬をしていて、ルナを誘い馬に乗る姿を見せる。カメラはもう一つの視線を時折挿入する。ルナの背後でジュゼッペが車に乗せられ何処かに連れ去られる。ジュゼッペの父と祖父はマフィアであるようで、その関係で拉致されたのだ。

 

突然、学校にも来なくなったジュゼッペを、心配したルナとその友達が探すが、なぜか周囲の大人たちは口を閉ざす。ルナは悪夢の中で、ジュゼッペの拉致されているらしい建物を見、それが水の底であるかのように感じ、湖に沈んだりする。そんなルナを異常と思う両親は病院で治療などもさせるようになる。

 

やがて時が経ち、ジュゼッペはルナにもらった手紙を心の支えに拉致された場所で過ごしていたが、体が弱り、とうとう、犯人に絞め殺される。たまたま犯人らしい男を見かけたルナは一人あとをつけ、その建物にやってくる。しかしすでに意識のないジュゼッペは、霊のようにルナの前に現れるが、ルナは気がつかない。

 

しかし、ジュゼッペ本人は殺された後、酸で溶かされ湖に撒かれてしまう。溶けた肉片が水の中に漂う終盤の描写はかなりエグい。

 

ルナは、ジュゼッペとはぐれたまま、とうとう自宅で自殺しようとするが、かねてよりライトのモールスで連絡を取り合っていた友達に、光が届く。それは霊となったジュゼッペがルナの危機を知らせたものだった。

 

無事助かったルナは、友達やボーイフレンドと楽しく浜辺で戯れるカットでエンディング。全体がシュールな場面を繰り返し、ややくどいくらいの展開も見られるが、映像センスは美しいし、心象風景としての徹底した演出はなかなかのものでした。

 

「宵闇真珠」

淡々と紡がれる物語は、稚拙なようで、詩的。どこか捉えどころのない作品でしたが、見る価値はあったかと思います。監督はクリストファー・ドイル&ジェニー・シュン。

 

香港のとある村、一人の異国の男がこの村の小高い丘にある建物にやってくるところから映画が始まる。

ここに日光に当たると体が弱る奇病の少女がいて、夜になると薄着で村を歩き回る。母親は準ミス香港という経歴の持ち主だが行方不明だと父から教えられている。

 

ある時少女は異国の男と知り合う。そして言葉を交わすうちに自分の母について探り始める。一方、この村を開発しようとやってきている開発業者の暗躍もあり、やや物語がメッセージを帯びてくるのが気にかかるが、中心の話はこの少女の生い立ちの物語である。

 

少女の母は、実は言われていた女性でもなんでもないことがわかり、少女の病気も父が作ったものだとわかる。

 

やがて、異国の男が去る時が来る。こうして映画が終わる。たわいのないストーリーである。水辺に浮かぶように存在する村の風景がどこかノスタルジックで、変化していく香港の姿を映し出しているような気もする。

 

開発で自然が穿かされるなどのセリフが終盤に出てくるので、言いたいところはそこなのだろうと思う。