「魂のゆくえ」
なんとも陰気な映画だった。環境破壊に苦悩する主人公の物語なのですが、そこに神への疑問が絡んでくるとなんとも言えない暗い物語になる。監督はポール・シュレーダー。
250年の歴史がある教会の正面からカメラが寄っていく。中で説教しているのは、トラー牧師。ミサの後一人の女性メアリーが、夫に会ってくれと声をかけてくる。
メアリーは妊娠したのだが、地球の環境破壊に苦しむ夫のマイケルが、こんな世の中に生み落すのは罪ではないかと苦しんでいるというのだ。
トラーはマイケルに会い、説得をし、理解されたかと思ったが、後日マイケルから連絡があり、待ち合わせの場所に行ってみると、マイケルは頭部を銃で撃って死んでいた。
さらに、トラー牧師の上部団体の教会組織は、資本と手を組んでの活動をしていて、そのことも疑問に思っていた。
一方体の具合も良くないトラーは、どんどんうつ状態に陥っていく。そんな彼に時折顔を見せるメアリー。そしてある日、メアリーの提案で悩めるトラーに体を重ね二人は浮遊して、シュールな世界へ映像は流れる。
やがて教会の式典の日、トラーはかつてマイケルが用意していた自爆ジャケットを身につけて臨もうとするが、すんでのところでやめて、有刺鉄線を体に巻き、有毒な洗剤を飲もうとする。しかしそこに現れたのがメアリーで、二人は抱き合い、キスをして一気に画面が閉じる。
全体がベルイマンの「冬の光」を思わせるような映画だった、いやそれ以外にも過去の名作が絡んでいるように思うのですが、知識が追いつかない。ポール・シュレーダーが描かんとして、映像表現の世界は、さすがに知的な仕上がりを見せたように思いますが、キリスト教のことも含め様々な知識があってこそ理解できる一本という感じでした。
「孤独なふりした世界で」
なんともつかみどころのないSF映画という一本でした。エル・ファニングが出ているというだけで見に行った作品ですが、さすがにつかまえどころがなかった。監督はリード・モラーノ。
廃墟の街をカメラが這うように捉えて映画が始まる。小人の男デルが一軒の家に入り、死体をかたずけ、掃除をして、電池などを手に入れて出てくる。どうやら人類が死滅しているらしく、一人生活をしているようだ。
ある時、車の事故を目撃、中にいたグレースという女性を助ける。二人の生活が始まるが、ある朝、デルが目をさますと、見ず知らずの夫婦がいた。グレースを娘だといい、自分らの住むところには大勢の人間がいるから来いという。しかしデルは行かず、グレースは連れ去られるように去っていく。
デルはその夫婦が残した住所に向かう決心をする。そしてたどり着いた街には大勢の人類がいた。目指す住所にやってきたデルはそこで、なにやら薬を点滴されているグレースを発見助け出す。そこへ出てきた男は、人類から憎しみや悲しみの感情を取り除くことをしているのだという。
その男を撃ち殺し、デルとグレースは帰っていってエンディング。あの街には感情を持たない幸せそうな人々の姿があった。とまあ、そんな映画ですが、今ひとつ秀でた何かがない作品で、本当にエル・ファニングのみ目当ての映画でした。