くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「希望の灯り」「幸福なラザロ」「ドント・ウォーリー」

希望の灯り

とっても絵作りのセンスのいい心温まるヒューマンドラマでした。何気ない話なのに、そこかしこに胸に迫るあったかいものが見え隠れする。ちょっとした佳作。監督はトーマス・ステューバー。

 

広い景色から、とある大型スーパーの売り場。背後「美しき青きドナウ」が流れ、リズミカルにリフトカーが交差して動く。カットが変わると主人公クリスティアンがこのスーパーに試用で就職する所になる。全身に入れ墨をしているので隠すようにと言われ、気のいい先輩のブルーノのもとに配属される。

 

口数が少なく、真面目に仕事するクリスティアンはみんなから好かれ始める。ある時、洋菓子パートのマリオンに恋をしてしまう。しかし彼女は人妻だった。ブルーノの話では、夫にDVされているようだと知る。

 

淡々とさりげない物語が続くのですが、構図や映像展開が実にリズミカルで洒落ています。マリオンが休むようになり、気になったクリスティアンは彼女の家に行くが、マリオンが風呂場で体を洗う姿を垣間見ながら、花束だけ置いて出てくる。

 

やがて、マリオンも仕事に復帰、いつもの毎日に戻ったように思えたが、なんとブルーノが自宅で自殺してしまう。物語はブルーノの葬儀、クリスティアンが主任に昇格、マリオンとの楽しい日々になって終わる。

 

細かいシーンやエピソードにラストシーンまでの伏線を丁寧に織り込み、ラストシーンのあと全体を振り返って、さらに胸が熱くなる展開が見事です。素敵ないい映画でした。

 

「幸福なラザロ」

久しぶりに聖人映画を見た感じです。なかなかの秀作。奇跡の物語ですがファンタジーのような装いで描く物語は、心に残ります。監督はロリーチェ・ロルバケル。

 

タバコ農場で働く小作人の一家のシーンから映画が始まる。電球1つも手に入らない貧しさで、この日、家族の一人の結婚のお祝いの席なのだが、満足な食事も出ない。彼らにはさらに小間使いをするラザロという若者がいる。

 

人を疑うことをせず、純粋に仕事をこなすラザロ。侯爵夫人という地主の元で搾取されながらも必死で生きる小作人たちの家族。

 

そんな村に侯爵夫人が息子のタンクレディを連れてやってくる。小作人たちは必死で接待するが、家族の娘のアントニアや弟のピッポらは反抗する。

 

すでに数年前に小作人制度は廃止されているのだがこの村にはその情報が伝わらず、侯爵夫人も知らぬふりをして搾取していた。そんな母親に反抗するタンクレディは、年も近いラザロと狂言誘拐を仕掛ける。

 

しかし、以前もそんなことがあった母親の侯爵夫人は無視。タンクレディは妹を通じて警察に連絡させる。やってきた警察はいまだに小作人制度が続くこの村の人々を保護するのだが、そんな時、ラザロは崖から落ちてしまう。

 

どれくらい時が経ったか、一匹の老狼が倒れているラザロに近づき、気をつかせる。ラザロは無傷で起き上がり、村に行くが誰もいない。侯爵夫人の家に行くと、蔦が壁を覆っている。そこへ空き巣泥棒が入り、気のいいラザロは盗むのを手伝う。そしてタンクレディの一家は、小作人搾取の罪で没落し、都会にいると告げられる。

 

ラザロは、タンクレディに会うために都会へ向かい、そこであの時の泥棒と会い、さらになんと大人になったアントニアがいた。ラザロが崖から落ちて数年以上たっているがラザロの姿が昔のままなのを見たアントニアは、彼にひざまづく。

 

アントニアらはかつての家族とともに貧しい生活をしていた。ラザロの出現で、何かしら変わる中、かつてタンクレディが飼っていた犬を見つけたラザロは、今や中年になったタンクレディと再会する。

 

貧しい生活をするタンクレディの家族を見たラザロは、彼らをそんな状況にした銀行にやってくる。強盗と間違えられたラザロはその場で、客らに袋叩きになり、そこにかつての老狼が現れる。駆けつけた警官はラザロの死を知り、狼はそに場を去って映画は終わる。

 

そこかしこに奇跡のシーンが散りばめられ、ラザロが聖人であることが表現され、殺伐とした現代を洗い流すような展開で映画が終わる。いや、皮肉交じりの風刺で終わったのかもしれない。その微妙な感覚がこの映画の魅力なのだろうと思う。

 

教会のオルガンの音が、ラザロらを拒否したために、消され、ラザロの行くところに付いてくるくだりなどかなりの風刺である。又、家族がかつての農村に帰る決心をしていく終盤のシーンも、結局都会への批判的なメッセージか。いずれにせよブラックコメディの色合いもある映画でした。

 

「ドント・ウォーリー」

半身不随とアルコール依存症の風刺漫画家ジョン・キャラハンの半生を描いたちょっとしゃれた人間ドラマ。英雄譚のごとく描かず、ストレートにその人間像に迫った演出が小気味好い一本でした。監督はガス・ヴァン・サント

 

主人公ジョン・キャラハンが演台で自身のことを話すシーンに始まり、カットバックして、彼がまだ半身不随になる前、さらになった後の何年かが交錯して描かれていく。その編集手腕はガス・ヴァン・サント監督ならではの演出で、いかにもいけ好かない主人公や彼を指導するリーダーなどの描き方が実にリアリティである一方、ユーモアあふれています。

 

酒に溺れ切って、そのまま酔った友人と車で走って大事故に会い、半身不随になるジョン。それでも酒がやめられず、どうしようもない日々が続くが、突然、母の面影が彼の背中に触れたことから酒を断ち、得意の漫画で風刺漫画を描き始め、世間で認められていく。

 

彼を支えた断酒会のリーダーは実はエイズで、彼の死が近づく一方で、次第にジョンは成長し立ち直っていく終盤がそれまでのクソのような生活と打って変わって真面目になりどんどん胸を打ってきます。

 

そして、冒頭のシーンになり、今の彼が描写され、エンディング。すでに亡くなっているのですが、小気味好く走り抜けた半生の物語はなかなかの見応えがありました。