くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「居眠り磐音」「僕たちは希望という名の列車に乗った」

「居眠り磐音」

できが悪いわけではないのですが、どこか仕上がりが平凡。スピーディなストーリー展開なのですが鮮やかさがないために、物語の中でのエピソードにしか見えなく、主人公磐音の人間ドラマとしての苦悩の部分が弱く、薄っぺらい仕上がりになった感じです。監督は本木克英。

 

幼馴染の磐音、琴平、新之輔が道場で稽古している場面から映画が始まる。このシーンで三人の性格の違いを叙述に描写しないといけないのですが、ちょっとあざとすぎ、この性格の違いが間も無く起こる悲劇の伏線にしては弱い。

 

3人は故郷の関前に戻ってくる。新之輔には愛する妻で琴平の妹舞が待ち、磐音にはさらにその妹で許嫁の奈緒が待っている。しかし、着いた途端、新之輔は舞の不義を知らされ、舞を切り捨ててしまい、さらにそれを知った琴平は、新之輔とあらぬ噂を広めた叔父を切り捨ててしまう。

 

狂ったように暴れる新之輔に藩から討伐の命令が下り、真実を知った磐音が駆けつけ、新之輔を切り捨てることになってしまう。そして磐音は脱藩して江戸に戻ってくる。

 

しがない浪人となった磐音が、ある両替商の用心棒になったことから、当時田沼意次中心の幕府の施政による巷の利害争いに巻き込まれることになる。

 

磐音は持ち前の才覚で、見事解決するが、彼の元に、今や遊女となった奈緒からの便りが届く。映画はここでラストを迎えるが、花魁道中までするようになった奈緒を受け出すために日々暮らす磐音のシーンでエンディング。

 

物語の流れはそういうことなのですが、エピソードそれぞれが並んで展開するようにしか見えない。松坂桃李の静かな演技と周りの手慣れた脇役のいかにも時代劇という感じのいでたちがなんとか作品の質を維持しているものの、脚本の弱さ、演出の弱さが、映画自体に深みを生み出せなかった感じです。

 

「僕たちは希望という名の列車に乗った」

ベルリンの壁ができる数年前の東ドイツ、その緊迫した状況を、青春ドラマの中に描いた作品で、束縛された緊張感と必死で自分たちの学生生活を楽しもうという微妙なバランスが見事に描かれていた秀作でした。監督はラース・クラウメ。

 

西ベルリンの映画館でテオとクルトがハンガリーの民衆蜂起の映像を目にし、それに感銘を受け、クラスで提案して二分間の黙祷をすることになる。ところが、当時ソ連の占領下にあった東ドイツでは、このことが反共運動の発端と捉えられどんどん大きな問題に発展してしまう。

 

クルト達は、たまたま亡くなったというニュースがあったサッカー選手への哀悼だと答えたが、上層部は信じてくれず、クラスメートを個人的に追い込んでいく。そしてとうとうクラスメートの一人エリックが発砲事件を起こし、彼に全ての発端の罪をかぶせるようにクルトが依頼される。しかし、友達を売ることはできないクルトは母の勧めもあり、一人西側に逃げることにする。

 

そして糾弾の日、クルトの親友テオが頑として全員で決めたと言い張ったために退学処分となる。しかしテオの発言に、クラスメートが次々と立ち上がり、とうとうクラスは閉鎖になってしまう。

 

テオは帰りに、年末に西に墓参りに行くと嘘をついて脱出しようと提案。判断は各自に任せるが、いざ列車の発車の駅にはクラスのほとんどが集まっていた。映画はそこで終わり、その後彼らが西で卒業したことがテロップされる。 

 

映像演出に凝ったものはないのですが、生徒一人一人の目線をまっすぐに捉えるカメラが実に瑞々しくて、物語の暗さを透明感のある映画に変えてくれていてなかなかの仕上がりになっています。いい映画でした。