くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「ピータールー マンチェスターの悲劇」「あなたの名前を呼べたなら」「沈黙 SILENCE

「ピータールー マンチェスターの悲劇」

19世紀初頭、イギリスマンチェスターで自由を求めて集会した人々が軍隊によって虐殺に近い圧力をかけられた事件を扱った群像劇ですが、生真面目な作品でした。丁寧に描写するのもほどがあるという感じで、もうちょっと畳み掛けても良いのではという感想です。監督はマイク・リー

 

ナポレオンとのウォータールーの戦いの場面、ひとりのラッパ兵が途方にくれているシーンから映画は幕を開ける。物語はこの青年を中心に描かれるのかと思ったが、そうではなく、彼が故郷のマンチェスターに戻ってくると、その地では判事たちが自分たちの地位を脅かしそうな労働者階級を不当に逮捕して排除していた。

 

議会も力がなく、市民全員の参政権を求めて自由の集会をしようと計画する。そしてロンドンでの集会で名声のある活動家ジョージ・ハントを招聘することに成功。住民たちはピータールー広場に大集合していく。

 

物語は、集会までの判事たちの思惑などを交え、市民たちの不安などを描きながら、特に主人公を作らない群像劇として展開していく。絵作りが美しいので、19世紀のイギリスマンチェスターの風景が素晴らしいが、その素朴さがかえって物語のテーマ性を強めていきます。

 

クライマックス、無武装で平和に終わろうと集まる群衆に、判事たちが準備した軍隊が突入。最初は平和的に散会させるつもりが、いつのまにか武器による殺戮へとエスカレートしていく。そして集会後に惨状を見る報道記者たちは、これを記事にしようとし、一方王室では能天気な国王らの談笑シーンが描かれ映画は終わる。

 

歴史の史実を知らないこともあり、どの程度の重要性がある事件なのか理解できなかった。ただ、しっかりと作られた良質の作品であり、見応えはありました。

 

「あなたの名前を呼べたなら」

これという優れたものはないけれど、素直に好感できるラブストーリーでした。インドの身分制度の現実も垣間見られて、ちょっとした作品でした。監督はロヘナ・ゲラ。

 

実業家のアシュヴィンの高級マンションでメイドをするラトナのカットから、アシュヴィンが結婚を中止にして落ちこんでいるカットへ入って映画は始まる。

 

どうやらアシュヴィンの結婚相手は浮気性らしく、直前で結婚式を中止、自宅に戻ってきた。迎えたのは献身的に優しいメイドのラトナ。といっても仕事に忠実なだけで、彼女もまた未亡人だった。しかも生まれの村の風習で、未亡人は一生未亡人で再婚は許されないのだという。

 

しかし、大都市ムンバイで働く彼女にはファッションデザインの仕事をするという夢があった。メイドの傍、裁縫学校に行かせてもらい生き生きしてくる彼女に、いつの間にかアシュヴィンは心惹かれるようになっていく。

 

しかし、厳格な身分制度のインドでは絶対に許されない関係であることを何度も説明するラトナ。アシュヴィンはアメリカに住んでいたこともあり、自由な考えを持っていたが、一方でインドの風習は破り難いものがあった。

 

ある夜、アシュヴィンはとうとうラトナに口づけをしてしまう。さらにいつの間にか二人の関係も噂になり始めていた。困ったラトナは家を出る決心をする。彼女が去った後、アシュヴィンもアメリカに戻る決心をする。

 

妹のところで暮らすラトナにアシュヴィンから連絡が入る。紹介されたところに行くと、アシュヴィンの友人でファッションの仕事をしている店に紹介され、ファッションデザイナーの職を得る。アシュヴィンの計らいだと知ったラトナは礼をいうためマンションに行くが、すでにアシュヴィンはそこにいなかった。

 

マンションの屋上に行き、ひとり夜景を見るラトナにアシュヴィンから電話が入る。ラトナは、それまで「旦那様」としか呼んでいなかったアシュヴィンを初めて名前で呼んで暗転映画は終わる。

 

インド社会のどうしようもない身分制度を逆手にとったプラトニックなラブストーリーは、ある意味新鮮だし、一方でモダンでもある。その空気感が作品に好感度を与えた感じです。良かった。

 

「沈黙SILENCE」(篠田正浩監督版)

マーティン・スコセッシが最近映画にした作品の篠田正浩監督版である。宮川一夫のカメラも美しく、様式美で描かれる映像の中に、キリスト布教の本質を描いていくドラマはなかなか見ごたえがあります。

 

映画は、二人の宣教師が日本の小島にやってくるところから始まります。身を隠して布教を始めるも間も無くして、ひとりの男に密告され捕まります。

 

物語は、奉行所の執拗な弾圧と拷問の中、キリスト布教の本来の意味が問いかけられ、捕まった宣教師が追い詰められ苦悩する様子が延々と描かれます。

 

絵作りの美しさと、クローズアップを多用する人物描写が見事で、どんどん話に引き込まれていき、果たして、キリスト布教の方法が正しいものか見ている私たちも問いかけられていく。

 

やがて、宣教師も踏み絵をしてキリスト教を離れ、日本人として生きることになり映画は終わります。スコセッシ版とどちらがというものでもありませんが、篠田正浩監督らしい絵作りが美しい作品でした。