くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「永遠の門ゴッホの見た未来」「マチネの終わりに」「グレタGLETA」

「永遠の門 ゴッホの見た未来」

ゴッホの半生を描いた物語ですが、手持ちカメラを多用した画面作りと、ただの狂人として描くのではないゴッホの人間面への描写が素晴らしい作品でした。ゴッホが次第に異常になっていく視点に黄色のフィルターをかけたり、ゴッホの妄想か現実かわからない映像演出もうまい。監督はジュリアン・シュナーベル

 

カフェに飾られたゴッホの絵が、撤去を求められる場面から映画は始まる。彼を唯一応援する弟のテオに慰められ、帰り道、ゴーギャンと知り合う。

 

自然に魅入られ、極端に早い筆のタッチで次々と絵を描いていくゴッホだが、周囲の人々は彼の絵を認めないばかりが人間的にも受け入れず、ゴッホはどんどん孤独になっていく。

 

そして、自分でもわからないままに奇妙な行動を繰り返し、その度に病院へ入る。そんな彼をゴーギャンは認め、テオは支えていくが、ゴッホはさらに孤独の中に落ち込んでいき、精神が崩れていく。

 

そして、とうとう少年たちに銃で撃たれ、その怪我が元で死んでしまう。現実か幻覚かが徐々にエスカレートしていく展開が見事な上に、ウィレム・デフォーの演技も、仰々しくならず淡々と演じていくので、非常にリアリティのある人間ドラマに仕上がっています。前半の手持ちカメラの多用が少ししんどいですが、それも次第に画面に惹きつけられていくので、効果があったのでしょう。いい映画でした。

 

「マチネの終わりに」

安っぽいラブストーリーだろうとタカをくくって見ていたのですが、これがものすごく良かった。すれ違いドラマの大人の恋物語に涙が止まりませんでした。まず、脇役に入った桜井ユキの演技が抜群に映画を引き立てます。そして、オーソドックスながら丁寧に心理描写していく演出もうまいし、背後に流れるギターの名曲が映画にリズムを生み出していきます。原作は知りませんが、脚本の組み立ても絶妙のテンポで流れる。こんな映画に感動すると思わなかった。監督は西谷弘。

 

一人の女性小峰洋子が、ニューヨークを走り去るシーンから映画が始まり物語は6年前へ。パリでギター公演を終えた蒔野は、ジャーナリストの小峰洋子と知り合う。お互い惹かれるでもなく心が通うものの、洋子にはフィアンセの新道がいた。

 

それから6ヶ月たち、ニューヨークで蒔野は洋子に思いの丈を告白する。洋子も、新道との結婚に迷いがあり、蒔野への思いが募るものの、4ヶ月後の師である祖父江と一緒の蒔野のコンサートまで待って欲しいと答える。

 

ところがその日、洋子の同僚が取材で怪我をして、いくことができなかった。蒔野は、陽子たちの前でギターを弾き、同僚が寝静まった後、静かに口づけをする。そして洋子は、今度は自分が蒔野を訪ねて日本へ行くからと答える。

 

新道との結婚についての迷いを新道に告げる一方、洋子は日本へ向かう飛行機に乗る。一方、蒔野は、到着する洋子とバスターミナルで会う約束をする。ところが、突然、祖父江が倒れたという連絡が入り、蒔野は病院へ駆けつけるが、タクシーに携帯を忘れ、洋子に連絡がつけられなくなる。かねてよりずっとマネージャーとして蒔野についていた三谷早苗は、携帯を取りにタクシー会社へ向かう。万一に備え、蒔野は携帯のパスワードを早苗に教えた。実は、早苗はずっと蒔野を愛していたのだ。

 

なんの連絡もない洋子は、蒔野の携帯にメール、それをたまたま早苗が蒔野の携帯を持っていて、思わずパスワードで洋子とのこれまでのやり取りを見てしまう。そして、洋子に別れのメールを打ち込んでしまう。

 

戻った早苗は、蒔野の携帯は壊れたからと自分の社用携帯を渡し、そこに自分の私用の携帯番号を洋子の番号だと登録して渡す。そんなこととも知らない蒔野は洋子に電話してメッセージを残すが、それは早苗の携帯だった。ここの桜井ユキの演技がたまらなく素晴らしく、ここで、下手くそに演じられるとただの嫉妬女に見えるが、早苗の心の切なさが爆発する瞬間に涙してしまいます。

 

翌日、新しい携帯から洋子に連絡をするが、洋子は全く取り合わず、蒔野も訳がわからないままに別れてしまう。そして四年が経つ。

 

蒔野は早苗と結婚し、子供もできていた。一方、洋子も新道と結婚し子供ができていたが、一旦はこじれた婚約がうまくいくはずもなく、離婚することになっていた。そんな頃、祖父江の追悼アルバムを出すことになり、蒔野にも声がかかる。彼は四年間ギターを離れていたのだ。

 

蒔野は決心し、アルバムに参加、一方、早苗は、かつてのニューヨークの会場での蒔野の再起コンサートを計画していた。

 

ジャーナリストに復帰した洋子に、蒔野早苗になった早苗が会いに来る。そして四年前の自分の行為を告白、一方メールで蒔野にも真実を打ち明ける。

 

そしてコンサートの日、早苗は、「あなたの自由になさってください」と蒔野を送り出す。ここの桜井ユキの表情も最高に泣かせられます。洋子は自宅で整理していたが、早苗にもらった追悼アルバムを発見、蒔野のコンサートに向かう。

 

コンサートの後、セントラルパーク、二人は噴水を挟んんで再会、映画は二人の微笑みで暗転エンディング。もしかしたら大人としてすれ違うだけかもしれないという余韻がうまい。

 

とにかく、桜井ユキが抜群に素晴らしく、主役の二人のドラマを奥の深い大人のラブストーリーに見せていく。脚本の良さで、セリフの一つ一つが実に知的で美しい。本当に涙が繰り返し止まらない名編でした。

 

「グレタ GLETA」

なんともダラダラしたテレビドラマのような作品で、雑な脚本と使い古された演出に参ってしまった。名優イザベル・ユペールクロエ・グレース・モレッツを起用してこの程度では流石にファンはがっかりという映画だった。監督はニール・ジョーダン

 

フランシスは、一年前に母を亡くした寂しさからまだ抜け出せず、一緒に住んでいるエリカにも心配されていた。そんな彼女は地下鉄で誰かが忘れたハンドバッグを見つけ、家に持って帰る。エリカに咎められたものの、フランシスはそのカバンの持ち主グレタの家を訪ねる。

 

グレタに母の面影を見たフランシスは急速に親しくなる。しかし、ある時、食器棚の下で、同じようなバッグがたくさん並んでいるのを発見、全てグレタの計画だったと気がついて、その日は適当な理由でグレタの家を後にする。

 

ところが、グレタは執拗にフランシスに接触してくる。怖くなったフランシスは警察に連絡するも取り合ってもらえず、さらにグレタはフランシスのバイト先のレストランで騒ぎを起こし、逮捕されるもすぐに釈放されてしまう。

 

フランシスは、エリカの勧めで、グレタに遠くへ出かけるという適当な嘘をついて、なだめて別れることにする。ところが、巧みに部屋に忍び込んだグレタは麻酔薬をフランシスに飲ませ拉致監禁してしまう。

 

グレタはこれまでも少女を拉致監禁し、最後には殺していたらしいとわかる。フランシスの父が雇った探偵も殺され、フランシスは監禁拘束され絶望してしまう。

 

グレタは次のターゲットのためにまたバッグを忘れ、一人の女性が届けにやってくる。ところが、逆にグレタが薬を飲まされ倒れてしまう。なんと訪ねてきたのはエリカだった。こうして、フランシスを助け出し、グレタを、フランシスが監禁された箱に閉じ込めて映画は終わる。

 

じゃあ、お父さんはどうなったの?フランシスの前に捕まっていた少女は?ラストの箱のかんぬきが抜けかける雑なラストのオチは?さっさと逃げられるタイミングでもピンチな状況に無理やり飛び込む展開は?などなど、隙だらけの脚本が実に雑。しかも、今更ながらの話なのだが演出も平凡。せっかくの名女優二人を無駄遣いしたこれは一体という感じの映画でした。