「レ・ミゼラブル」(ラジ・リ監督版)
これはなかなかの傑作。フランスのスラム街がこれほどのものかと驚く一方で、フランスが抱える闇の部分が見えてきた気がします。物語展開の構成もうまいし、終盤に挿入される美しい夕陽のシーンのワンクッションから後のクライマックスの流れがみごとです。監督はラジ・リ。
W杯優勝でわくフランスの場面から映画は幕を開ける。犯罪多発地区のパリ郊外のモンフェルメイユという街、ステファンがここの警察署に赴任してくる。クリスをリーダーとするチームに配属され、相棒のグワダらとパトロールをする。いかにも悪徳警官でやりたい放題のクリスにいささか引き気味のステファンだったが、こうしないと収まらないとクリスは言う。
この地には「市長」というあだ名のリーダーが率いるグループや「ハイエナ」というリーダーのグループ、さらにはかつてのこの地のチンピラだったが今やボス的存在のサラなどがいた。イスラム教や中東の対立も垣間見られる地区である。ここにドローンで盗撮などして遊ぶ黒人少年バズや、悪ガキのイッサなどもいた。
ある時、市長のグループに、近くに来ているサーカス団の団長ロマが部下を連れて殴り込んでくる。ライオンの子供が盗まれたと言うが、一触即発になったところへクリスたちが駆けつけ、なんとかするからとその場をなだめる。
捜査するうち、盗んだのがイッサだとわかり、子供らと遊んでいるイッサを強制的に逮捕するが、大勢の友達がクリスたちに襲いかかってくる。ところが、威嚇のつもりでグワダが放ったゴム弾がイッサの顔に命中、気を失ってしまう。しかもたまたまバズのドローンがその場面を録画していた。焦ったクリスはイッサを車に乗せ、ハイエナにドローンの持ち主を探してもらい、なんとかSDカードを手に入れる。またイッサにも転んだことにしろと言い含めて家に返す。
1日が終わり、ステファンらは家庭に戻る。夕陽のカットが美しい上に、暖かいショットを並べる見事な間をここで作る。そして翌日、いつものようにパトロールに出るが、なぜか子供が後をつけてくる。そして、水鉄砲で襲ったり、花火をうち込んだりするに及んで、ステファンらは首謀者イッサを追いかけ団地の一棟へ入っていくと、次々と黒づくめの子供たちが襲ってくる。駆けつけた市長やハイエナにも容赦なく花火を打ち込む子供達。大人の仕業に子供達が氾濫したのだ。
目をやられたクリスをかばい、なんとか脱出しようとしたステファンの前に火炎瓶を持ったイッサが立ちふさがる。身の危険を感じたステファンは銃を向ける。沈黙と時間が止まる中、暗転して映画は終わる。
見事です。これほどしっかり組み立てられたドラマは久しぶりに見ました。さらに、フランスの犯罪多発地区の実態も理解できた気がします。移民問題に悩むフランスの姿が浮き彫りになっている気がしました。
「ラスト・ディール美術商と名前を失くした肖像」
人間ドラマとしてはそこそこの出来栄えですが終盤の演出が少し雑になったのと、登場人物の描写が少し弱いのが気になりました。監督はクラウス・ハロ。
絵のオークション会場から映画が始まり、その後友人とオークションの下見に行って一枚の肖像画に目がいく。作者のサインもない一枚だがオラヴィはロシアの巨匠レーピンの隠れた名作ではないかと直感する。そんな時、娘のレアから、息子オットーの職業訓練先にオラヴィの店で働かせて欲しいと連絡がくる。
オラヴィはオットーと一緒に、肖像画の作者の証拠を探し始める。一方、オークションも迫っていた。そしてとうとう、写真を発見、レーピンの「キリスト」であると確信しオークションに臨む。そして当初の予算を超えて一万ユーロで落札するが、資金調達に四苦八苦する。
最後の最後にオットーが貯めていたお金もつぎ込んで買い入れ、一方でレーピンのマニアである客にも連絡する。やがてその客が来るが、オラヴィが購入した美術商に相談に行き、結局キャンセルされる。実はその美術商はオラヴィが購入手続きを終える直前に、レーピンの作であることを知ったのだが間に合わなかったのだ。
全てを失ったオラヴィは美術商に悪態をつきにいくが無下にあしらわれ、レアからもうとまれ、店を畳むことにする。そんな時、美術館に問い合わせていたサインの件について返事が来て、おそらく聖画として書かれたのでサインをしなかったのだろうと説明される。しかしその片付けにいそいそしてる時、オラヴィの命は尽きてしまう。
遺産処分にあの美術商もやってきて、レーピンの絵を取り戻そうとするが、オットーやオラヴィの友人に阻まれる。そしてレーピンの絵の額には、死んだらオットーに譲ると遺言されていた。レアがレーピンの絵を持ってオットーに届けるところで映画は終わる。
人間ドラマとして、丁寧に描かれているが、もう一歩奥深い描写が欲しかった。オラヴィが事業を譲る男の登場も突然だし、レアのオラヴィを嫌う背景もちょっと説明不足な気もする。でも、つまらないわけではなかったからいいとしよう。
「ジョン・F・ドノヴァンの死と生」
映像センスのいい人が作るとなんでこんなにも素敵な映画ができるんだろうと思う。さりげないシーンやカットの隅々に、思わず笑みがこぼれるような粋なショットが見えるし、胸に迫るところは思い切りぐいっと入り込んでくる。元来、ゲイの映画は嫌いなのだが、そこはさらっと物語の中に埋めこんでしまうセンスの良さには参ってしまいます。とっても良かった。監督はグザビエ・ドラン。
一人の女性がジョンという男性の部屋にやってくる。フォーカスがぼやけたまま、女性が部屋の中でジョンを呼ぶカットから、少年ルパートが母サムの前に座って手紙について問い詰めている。どうやらこの少年はひいきにしているスター、ジョン・F・ドノヴァンの大ファンで、彼からの手紙が母によって隠されたと言っている。間も無くして背後のテレビで、ジョン・F・ドノヴァンが死んだと言うニュースが流れ、唖然とする少年。時は2006年。
時が変わり2017年、俳優になったルパートはある女性ジャーナリストからインタビューを求められていた。リパートは少年時代、ジョンと文通をしていて、100通を超える手紙を本にして出版したのだ。映画は、少年時代のルパートがジョンと手紙のやり取りをしていたことに加え、母で俳優になることを断念したサムとの物語を描く一方で、当時のジョンの日々を交錯させながら、時にインタビューシーンに戻して描いていく。
ジョンは、大人気のテレビ番組のスターだったが一方でゲイだった。当時はまだゲイへの理解もない時代で、俳優生活へのリスクもあった。そんなジョンに憧れる幼くも俳優を目指すルパートは、ジョンとの文通を隠していたが、学校ではアメリカから転校した転校生であることと子役と言うことでいじめにあっていた。
ある時、作文でジョンとの文通をクラスの発表で話したことで、クラスのリーダー格に手紙を隠され、それを取り戻すために家に忍び込んだルパートは警察沙汰になり、ジョンと文通していたことが公になってしまう。人気俳優のスキャンダルに近いことにもなった上に、彼がゲイではないかと言う噂まで絡んで、ジョンは精神的に追い詰められていく。そして、スタジオで喧嘩騒ぎを起こし、マネージャーからも見放されてしまう。
一方、ルパートは、俳優になることを諦め夫と別れてアメリカからイギリスに移った母を心なしか恨んでいた。しかし、学校へ行かずに勝手にロンドンのオーディションを受けに行ったルパートを追いかけたサムは、ルパートに、何があっても自分はルパートの母であることを宣言して抱きしめる。このシーンが恐ろしいほどに胸が熱くなる。
間も無くして、サムとルパートはアメリカに戻ることに。ジョンに会えることに嬉々として喜ぶルパート少年。ところが二人のホテルに手紙が届く。サムが耐えきれずルパートに黙ってその手紙を開くと、そこにはジョンが精神的に追い詰められ、主役も別の人になり、孤独に苛まれる様子が綴られるとともに、ただ今は眠りたいとだけ記されていた。その直後、ジョンが死んだと言うニュースが入る。
インタビュー場面に移る。俳優となったルパートはジャーナリストに、果たしてジョンは自殺だったのか事故だったのかは、明確にできないと伝える。そして、迎えにきた友達のバイクにまたがる。それを見送るジャーナリストに、ルパートの友達はサングラスをずらして微笑む。このラストが素晴らしい。こうして映画は終わる。
サムがルパートを迎えにいく時の雨の中のシーンも見事だが、いたるところにセンスの良いカットが散りばめられているのは本当に素敵としか言いようがない。下手をすると、母と子の湿っぽい物語や、孤独に苛まれる俳優の殺伐とした描写に心が沈んでしまうのですが、そんなことは微塵も感じられず、洗練された映像で二人の若者の姿をピュアに描いていく。これこそセンスのいい映画というものだと思います。