くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「夜は短し歩けよ乙女」「ハリエット」「こおろぎ」

夜は短し歩けよ乙女

原作の味を十分に生かした斬新なアニメーションに仕上がっていました。面白かったし、梅田TOHOシネマ貸し切りワンマン鑑賞でした。監督は湯浅政明

 

主人公の俺はたまたま出会った後輩の黒髪の乙女に一目惚れしてしまい、何かにつけ偶然を装って彼女の周りに現れようとする。物語はそんな彼の行動と先斗町での不思議な一夜をファンタジーなのか幻想なのか自由奔放な描写で描いていく。

 

酒にやたら強い李白とのアルコール合戦に勝つ乙女、彼女の噂を聞きながらひたすら彼女を追いかけていく俺。大学の生徒会、鯉の商売で失敗した男、一目惚れした女性に再会を果たすまでパンツを履き替えないロマンチスト、飄々と世渡りしていく人物、古本の神様などなど、風変わりな登場人物が奇妙な物語を紡いでいく。

 

やがて、終盤、学園祭でのゲリラ演劇の展開から全員が風邪を引き、まるで嵐の後のように人がいなくなったが黒髪の乙女は風邪も引かず、出会った人たちすべての見舞いに奔走。そして最後に俺のところにもやってきて、ようやく偶然の出会いから解放されて俺は黒髪の乙女をデートに誘う。

 

そしてカフェでの待ち合わせから、出会って映画は暗転。不思議なめくるめくラブストーリーに、最初原作を読んだ時は引き込まれたが、その味をこのアニメもしっかり再現できていたと思います。見逃していたのですが、コロナで上映作品再編の中リバイバル。見ることができて良かった。

 

「ハリエット」

なかなか見応え十分な骨太なドラマでした。少々重すぎるという気がしないでもありませんが、どんどん引き込まれていく展開のリアリティに圧倒されていきました。監督はケイシー・レモンズ。

 

時は1848年、まだまだ奴隷制度が残るアメリカには、自由奴隷と、いわゆる白人に所有されている奴隷がいた。農場で働くミンティは、この日雇用主に夫ジョンと子供を作りたい、そして生まれてくる子供は自由奴隷として扱って欲しいと懇願するが、にべもなく拒否される。間も無くして雇用主エドワード・ブローダスが死に、妻が後を継いで息子のギデオンが牛耳ることになる。

 

経済的に余裕のないブローダス家は奴隷を一部売ってしまおうと考える。家族とバラバラになりたくないミンティは自由を求めて逃げることにする。ただ、迷惑をかけるジョンは連れて行かないことにする。

 

父のアドバイスで地元のグリーン牧師を頼り、そのまま160キロ先のフィラデルフィアを目指す。追手を振り払い、川を渡り必死の思いでたどり着いたミンティは現地で反奴隷制度の仕事をするウィリアムのところにたどり着く。そこで自由人としての名前ハリエットをもらう。

 

宿泊所のマリーの助けもあり、普通の生活に慣れたハリエットだが、夫、兄弟友人を脱出させたくマリーのアドバイスもあり再度南へ向かう。しかし夫はすでに別の女性と結婚していた。そこで、兄弟を連れて脱出を図るが、エドワードや、奴隷狩りのプロの黒人などが追ってくる。ここに、白人に情報を売りながら小遣いを稼ぐウォルターという青年がいた。彼はハリエットらをつけていたが、突然、何かに憑かれたように道を指図するハリエットを見て、彼女に惹かれる。ハリエットは幼い頃頭に受けた傷が原因で突然意識を失い眠る後遺症があった。

 

兄弟らを連れ帰ったハリエットを見てウィリアムも驚くが、ハリエットは再度南へ行き他の奴隷たちを連れ戻るという。やがて、モーゼの異名を持つ奴隷泥棒のような人物としてハリエットが有名になってくる。

 

そんな状況に危機感を持った白人は逃亡奴隷取締法を制定、強硬策に出てくる。それでもハリエットは仕事を進め、間も無くしてウォルターという協力者も現れる。

 

両親も脱出させるべく戻ったハリエットにエドワードが迫るが、危機一髪でエドワードに罵声を浴びせた上でハリエットは去っていく。やがてカナダに移ったハリエットたちだが、間も無くして南北戦争が勃発。ハリエットは武装隊を率いて黒人奴隷を次々とと脱出させていく。こうしてハリエットのドラマは終わり、その後の彼女のテロップが流れる。

 

まだまだ黒人差別が残るアメリカにあって、今訴えるべき一本という感じの作品で、相当に力が入っているので、見応えが十分な秀作という感じでした。

 

「こおろぎ」

正直、よくわからない作品だった。シュールと言われればそれまでだが、見えてくるものがない。2006年作品で、長らく未公開の傑作ということで見に行ったのですが、解釈できなかった。監督は青山真治

 

伊豆安良里の港町。かつて隠れキリシタンがいたというナレーションから、場面は港から少し山に入ったところの別荘。目の見えない老人と美しい女かおるが暮らしている場面の移る。かおるはこの男の存在こそが自分の存在を証明するものだと考えている。この老人は食べる時はやたらガツガツと品がなく汚らしいが、それを平然と世話をするかおる。

 

街に出る時は車を運転し、老人の手足となっている。老人もあてにしているようでもあり、勝手気儘なようでもある。ある時、かおるは街で、いかにも突然できたかのバーに足を踏み入れる。そこで、若い男と女に出会う。

 

その男女はかおるを洞窟に案内をしたりする。そこは隠れキリシタンを祀っていたらしい。ある朝、老人は死んでいた。かおるの元に大勢の人たちがやってくる。かおるが自由になったことのお祝いだと、知り合った男性が言う。

 

お祝いの翌朝、かおるが別荘を出て降りていく。男は、あの老人はまたしばらくすると現れると言う。港に隠れキリシタンの残骸が発見されたと言う。港に老人の白い杖が浮かんでいる。男と女とかおるは写真を撮る。直後、女はトラックにはねられ、かおるは気を失う。病院で目が覚めるとトラックの事故はなかったと言う。

 

一年後、かおるはこの街に戻ってくる。いつのまにかあの老人がやってくる。そして二人はまた生活を始める。近所に新しい住人がやってくる。老人がいつものように何かの種を吐き出して映画は終わる。というわけでわからなかった。