くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「銃2020」「ライド・ライク・ア・ガール」「ブリット=マリーの幸せなひとりだち」

「銃2020」

2018年の「銃」を同じ監督で視点を変えて作った作品。中編ですが、前作よりも少し洗練されているように感じました。銃というものに魅せられる主人公の物語という感じで面白かった。監督は武正晴

 

水溜りに東子の文字が浮かび主人公東子がストーカーのような男につけられている。なんとか逃げて、ある雑居ビルのトイレに入って、その洗面の中に沈んでいる銃を見つける。トイレを出たところで和成とすれ違う。東子はそのあと和成を探し、付け狙うが、逆に和成の行きつけのバーに連れて行かれる。この銃はあるヤクザの女の銃で、すでにその女は和成が殺した。したがって、東子が手に入れた銃で人を撃っても、そのヤクザ女が撃ったことになると告げられる。

 

東子は自宅アパートに帰るが、すでに電気も止められたゴミ屋敷で、この日も元ヤクザの大家が家賃催促しに来る。体を求めるような仕草の後、隣の部屋に行った大家は幼い少女と暮らす隣の女を襲う。ある時、隣の女が大家を殺して死体を埋めようと引きずる現場を見た東子は、処理を手伝い、死体を撃つ。

 

まもなくして、近所で発見された死体の調査で刑事が東子のところにやってくるが、東子は適当にごまかす。東子の母は、東子を恨んでいて、男の子が死んだことで気がおかしくなり、女を作っていた夫とも別れ、東子のところにやってくる。しかし、東子は適当に追い返すが、まもなくして、東子の留守にやってきて、東子の銃で自殺する。東子は銃を持って外に出て刑事を誘う。

 

刑事は自分の部屋に東子を誘い入れ、何もかも知っていると東子に迫る。東子は銃を向けるが撃てない。無視してトイレにたった刑事を撃ったには入ってきた和成だった。和成は兼ねてから刑事を恨んでいて、東子を誘ってカフェに行く。しかし、和成を後ろから東子が撃った。

 

逮捕された東子に、隣に住んでいた少女が面会に来る。そのあと、東子を訪ねて来たのは冒頭のストーカー男だった。こうじて映画は終わる。

 

凝縮されたストーリーとメッセージでぐいぐいと描いていく作品で、やや長く感じたのは、どこかエピソードの配分が悪かったのかもしれないが、駄作というわけではなく、それなりの一本だった気がします。

 

「ライド・ライク・ア・ガール」

 なんともシンプル、なんのテクニックも使わずに、メルボルンカップで初めて女性騎手として優勝したミッシェル・ペインの半生を描いていく。そのシンプルさゆえに、物語が短く感じたが、ダウン症で本人自身が演じたジュディスの存在が物語にうまくスパイスになって小気味良い仕上がりになっていました。監督はレイチェル・グリフィス。

 

騎手一家のペイン家の末娘ミシェルが生まれたところからの説明から映画は始まる。母がミシェルが生まれて間も無く死に、十六人家族のほとんどが馬の関連の仕事をしている。中でも末娘のミシェルは気が強い上に、騎手になることを幼い頃から夢見ていた。しかし、まだまだ男性優位の競馬の世界で様々な困難が待ち受けるというよくある設定だが、ほんの30年ほど前の話なのだから驚きです。

 

物語は丁寧にミシェルの成長を追っていき、姉の落馬事故での不幸から、ミシェル自身の落馬による重症を負うくだり、さらにダウン症の弟ジュディスとの交流を通じて、やがてメルボルンカップの騎手として出るチャンスを掴んだミシェルは、見事優勝。こうして映画は終わる。なんともシンプルそのもの。こういう映画の久しぶりに出会いました。

 

「ブリット=マリーの幸せなひとりだち」

なんとも抑揚のない作品で、それが狙いに見えた冒頭から、脚本の流れと演出の意図がちぐはぐになって、結局何を描きたかったのかは主人公に語らせるだけになった仕上がりにがっかりの映画でした。監督はツバ・ノボトニー。

 

何十年も夫ケントと暮らす主人公ブリット=マリーの淡々とした日常がテンポよく描かれて映画は始まる。ある日、仕事に出た夫が心臓麻痺で倒れたという知らせに病院に駆けつけたブリット=マリーだが、そこにグラマーな夫の浮気相手がベッドの傍にいて、看護婦がその彼女を妻と間違えていた。

 

そのままブリット=マリーは指輪を置いて家を出る。ここまでがこの映画の全てで、ここから如何にもな展開から雑な流れに沈んでいく。仕事を探すも63歳ではこれというのもなく、片田舎ボリの街のあるユースセンターの職員募集のみで、仕方なくその地へ行く。ところが、採用の条件は地元の子供達のサッカーの指導も含まれていた。ケントがサッカー気違いだったがブリット=マリーは全くの素人。とりあえず、指導らしいことを始める。ところが、ユースセンターにネズミが出たりとひどいものだったので、サッカーのコーチをしていたオヤジの娘のところに間借りすることになり、地元の警官スヴェンが案内し、なぜかブリット=マリーに惹かれる。って、あまりに雑。

 

あとは、サッカーコーチをするうちに、子供たちと心が打ち解けていき、自分のこれまでの生き方を回想したり、10歳の時に交通事故で死んだ姉のことが出て来たりと、どんどん俗な展開へ。そして最後は、ブリット=マリーのコーチしたサッカーチームが地味にの強豪チームから一点奪取して大団円。

 

ケントが反省して迎えに来たが、複雑な気持ちを伝えて、最後は、憧れのパリにいるブリット=マリーのカットで映画は終わる。では、冒頭のケントの浮気相手はどうしたの?とか、ライセンスがないと試合に出れないと途中で言われるのにコーチを続けて、土壇場でまた蒸し返して、なかったら出れないの?と繰り返すブリット=マリーの態度は何?さらに、死んだオヤジのライセンスで出れるというのもあれ?となって、なんかラストの子供たちに盛り上がりとこの映画の出だしの空気はどこいった感満載で終わる。適当、まさに適当な映画だった。