くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「オフィシャル・シークレット」「ソワレ」

「オフィシャル・シークレット」

なんか後味が悪い。ポリティカルサスペンスなのだが爽快感はない。実話だからというリアリティもない。主人公にどうも感情移入もできない。そんな映画だった。正義感を貫いたというヒーロードラマなのに、賞賛できないという映画でした。監督はギャビン・フッド。

 

法廷に立つキャサリンのカットから映画は幕を開ける。そして物語は一年前に。イギリスの諜報機関GCHQで働くキャサリン・ガンはこの日も様々なメールの翻訳、盗聴を行なっていた。しかし一本のメールに目が止まる。それは、アメリカがイラクを攻撃する事を正当化すべく、非常任理事国の国々に圧力をかけようと工作しているものだった。

 

キャサリンはこのメールをリークし、知人で反戦活動家のジャスミンを通じて、マスコミに公表すべく画策を始める。回り回って、オブザーバー紙のマーティンに届いたこのメールは、何度もその真偽が調査されていくが、キャサリンの中には一抹の後悔が生まれてくる。そしてなかばあきらめかけた時、オブザーバー紙の一面トップに記事が載る。

 

キャサリンは、自分の身の危険を感じ始めて憔悴し始め、職場での職員への尋問が続くのに耐えかねて、自ら告白逮捕される。警察の尋問ののち、いったんは釈放されるも、間も無く起訴される。一方キャサリンはこの方面の有能な弁護士ベン・エマーソンらに相談し、キャサリンの行動を正当化するべく活動を始める。

 

そして裁判の日、法廷に立つキャサリンの前で、検察側はこれ以上訴追しないといきなり公言、裁判はあっけなく終わって、キャサリンは自由の身となる。弁護側が要求した文書が開示された場合、政府の戦争容認が犯罪行為だったと判明することが明らかになったために政府側が口をつぐんだことによるものだった。

 

こうして物語は終わるが、キャサリンが政府を糾弾しようとした一途な正義感にも見えないし、実際後悔する瞬間もある。さらに、GCHQ入社時に全ての秘匿義務にも納得の採用であり、たしかに行なったことは正しいのかもしれないが、こうも簡単に政府のトップシークレットが外に漏れて混乱するようでは秩序も組織もない気もする。その意味でキャサリンに全面的に応援できないのが正直なところです。

映画自体もそれほど優れた演出でもないし、脚本も細かいところに穴もある。故に、主人公に共感できなく見えたのかもしれません。

 

「ソワレ」翔

いい作品に仕上がる一歩手前のそれなりの佳作という出来栄え。シンプルなストーリーを見せ切るだけの演技力、演出力がほんの少し足りなかった感じがとっても残念な映画でした。監督は外山文治。

 

夜の浜辺のシーンから、主人公翔太がオレオレ詐欺の金の受け取りのバイトのようなことをしている場面から映画は始まる。役者を目指し劇団に所属するも今一つめが出ない。この日翔太の故郷和歌山の老人ホームへ演劇ワークショップ的なボランティアに出かけた。

 

そこで、一人の若い看護師タカラと出会う。彼女は高校を中退してここに来たが、父に性的虐待をされていた上に母も男を作って出ていっていた。この日、地元の祭りがあり、劇団員がタカラを誘い、翔太が彼女を迎えに行くことになる。タカラはチャイムの音が迎えの劇団員だと思い開けると、出所してきた父親で、そのままタカラは襲われる。そこに翔太が駆け込むが、タカラはハサミを父親に突き立てる。救急車を呼ぼうとする翔太をタカラが止めたので、とっさに翔太はタカラを連れて飛び出す。

 

この後の二人の逃避行が物語の中心になり、小さなエピソードを描きながら二人のこれまでの人生や夢を描くのだがここがいかにも弱いために物語に深みが出てこない。そしてふとしたことで喧嘩別れしてタカラは一人ぼっちになる。しかし、夜、翔太が彼女の前に現れ、フェリーに乗ってさらに逃げようとするが警察が駆けつけ捕まってしまう。

 

時がたち、翔太は順調に役者をしていた。自宅で高校時代に作った映画を見ていて、その中で、笑顔になる時はこうするというセリフを見て驚く。なんとそれはタカラが時々していた仕草だった。タカラは翔太の高校の生徒だった。こうして映画は終わるのだが、ラストとこれまでの中身と全く関係なく唐突に見えてしまう。ラストだけ見ると切ない物語になるが、逃避行の部分の中身は違う気がする。上手く仕上がりきれなかったか、脚本の練り足りなさか、どうも、どこかもう一歩という映画だった。