「チィファの手紙」
岩井俊二監督が「ラストレター」を発表する前に、同じ原作で中国で描いた作品。展開もカメラワークもアングルもほとんど同じで、役者が変わっただけという感じの映画でした。
主人公チィファの姉チィナンの葬儀の場面に始まり、そこへチィナン宛の同窓会の案内が届く。チィファはチィナンの代わりに同窓会に行くがチィナンと間違われたまま帰ってきてしまう。しかし、そこで学生時代に恋したイン・チャンと再会する。
一方、葬儀の後、チィファの娘サーランは冬休み中チィナンの家に残ることにし、チィナンの娘ムームーと過ごし始める。ところが、イン・チャンと連絡先を交わしたチィファの携帯にイン・チャンから連絡が入り、それを見たチィファの夫が嫉妬して携帯を壊してしまう。仕方なくチィファはチィナンのふりをして手紙を書く。
こうして「ラストレター」と同様に、手紙のやり取りが繰り返され、かつての学生時代に、イン・チャンに恋したチィファはイン・チャンがチィファの姉チィナンに当てたラブレターをチィファが隠したことで、切ないラブストーリーが展開していく。
エピソードの配置もほとんど代わりなく、ラストシーンのチィナンの別れた夫との絡みまで描かれて、そのままラストへ雪崩れ込むが、「ラストレター」でも思ったが終盤がちょっとくどい気がし、作り込みすぎている感は同様の感想になりました。
「スペシャルズ!政府が潰そうとした自閉症ケア施設を守った男たちの実話」
これはいい映画でした。確かに行政の不手際を訴える映画ではありますが、ひたすらメッセージを押し付けてくるのではなくて、認可もなくただ無償で必死で強度の自閉症の青少年の力になっている職員たちの姿をひたすら描いていくという演出が実に心を打ちます。ラストに至ってはたまらなく胸が熱くなって涙ぐんでしまいました。監督はエリック・トレダノ、オリビエ・ナカシュ。
一人の少女が街を疾走しています。どう見ても異常な状態で、彼女を数人の人が取り押さえる。走っていたのはどの医療施設でも断られた極度の自閉症の少女で、彼らをケアする「正義の声」という民間施設の職員が押さえたのである。
この施設の責任者ブリュノはこの日も様々な患者を世話して、なんとか社会復帰させようと努力している。ブリュノの友人のマリクはドロップアウトした若者を雇い入れて、そうした患者の世話ができるように教育していた。
映画はこの二人のただひたすら無償で、自分の人生も築かれないままに尽くす姿をひたすら描いていく。何かあるとすぐボタンを押してしまうので、列車の非常ボタンを押したりして、電車にも乗れない若者。油断すると自傷癖があるのでヘッドギアをつけたままの青年、など様々な症状の若者を必死でケアしている物語が展開する。それはある意味壮絶でもあるが、一方で職員たちの心でぶつかっていく暖かすぎるドラマが展開します。
そんな施設に行政の監査が入り、閉鎖の危機が訪れるが、では患者たちを受け入れてくれるのかというブリュノの言葉に監査員たちはなんの返事もできないままに映画は終わっていく。
エピローグで、アングラ劇のようなシーンの後、一駅も乗れなかった青年がなんとか非常ボタンを押さずに列車に乗れて職員たちに迎えられたり、ヘッドギアを離せなかった青年がヘッドギアをようやく取れるようになってみんなと食事する場面、そして新たな患者を受け入れていく「正義の声」の姿で映画は終わっていく。ストレートに訴えかけてくる作品で、見たままを感じ考えさせる映画でした。